アメジローの岩波新書の書評(集成)

岩波新書の書評が中心の教養読書ブログです。

岩波新書の書評(405)⼭岡淳⼀郎「⽣きのびるマンション」

岩波新書の⾚、⼭岡淳⼀郎「⽣きのびるマンション」(2019年)の概要はこうだ。

「修繕積⽴⾦をめぐるトラブル、維持管理ノウハウのないタワーマンション…。難題⼭積のなか、住⺠の⾼齢化と建物の⽼朽化という『⼆つの⽼い』がマンションを直撃している。廃墟化したマンションが出現する⼀⽅、住⺠たちの努⼒でコミュニティを作り、資産価値を⾼めた例も。何が明暗を分けるのか。豊富な取材例から考える」(表紙カバー裏解説)

岩波新書「⽣きのびるマンション」の副題は「〈⼆つの⽼い〉をこえて」である。ここでいう「⼆つの⽼い」とは分譲マンションの「建物の⽼朽化」と、マンションの「住⺠の⾼齢化」を意味している。本書によれば、国⼟交通省が五年に⼀度⾏う「マンション総合調査(うち2018年度)」にて、当初の計画よりも修繕積⽴⾦の不⾜するマンションが全体の34パーセントを占め、全マンション居住者の62パーセントが「永住」を希望していてマンション全世帯の半数は60歳以上であるが、退職後の年⾦受給世帯が多いため各⼾からの修繕積⽴の資⾦調達は上⼿くいっていない。また70代、80代の世帯主が増えており、住⺠からなる⾃治組織たるマンション管理組合の多くが今⽇、理事ポストの次世代への継承につまずき活動を停滞させているという。

新築分譲マンションであっても時が経てば、やがてマンションの建物⾃体は⽼朽化する。かつ、そのマンション住⺠も⾼齢化して万全なマンション管理は次第に困難になっていく。外壁塗装の塗り替えや修復、給⽔や防災設備ら各所のメンテナンスや修繕や取り替えには多⼤な費⽤と⼿間がかかる。時に地震や津波の⾃然災害によるマンション半壊や全壊にて、⼤規模補修の必要や全⾯的なマンション建て替えの事態もありうる。オーナー1⼈の所有である賃貸マンションとは異なり、購⼊型の分譲マンションは各⼾主による共同持ち物であるから、その際にはマンション各⼾の全員⼀致と全⼾の共同⽀出による⾦銭負担がなければ、マンション住宅のメンテナンスや修繕・改修や建て替えは⽴ち⾏かないのである。

さらには同じマンションの住⼈同⼠の不⼀致の対⽴だけでなく、⼤規模改修⼯事に際しての出⼊りの業者からの談合・リベートや不当な⽔増請求にマンション全世帯の住⼈が団結して処さねばならない問題も出てくる。加えて、そもそものマンション建築の販売時における建設業者の⼿抜き不具合施⼯やマンション開発業者による不当な売り抜け、マンションを地元に誘致する⾃治体の周辺環境(騒⾳や⽇照や景観、学校・病院ら近隣公共施設の有無の問題)に関するマンション購⼊前アナウンスの事前説明とは明⽩に異なるトラブルなどが移住後に判明し、マンション住⺠⼀同が⼀致団結して外部の組織に対応しなければならない事案も多々⽣じてくる。

⼀概に「マンション」といっても、ファミリータイプから投資⽤のワンルーム、リゾート系の別荘タイプ、⼤型で多世帯⼊居の団地型まで様々にあるが、マンションをめぐる以上の問題はいずれも同じだ。賃貸マンションなら問題があれば、いよいよの時は退去して転居すれば事は済む。だが、分譲型の購⼊マンションは、何しろマンション購⼊など多くの⼈にとって⼀⽣に⼀度あるかないかの相当に⾼額な買い物であって購⼊⽀払いはローンで後々まで⻑期間続くケースも多い。慎重に検討して各⼈の⽣涯資産にしていかなればならない。分譲マンションに問題があったからといって即に⼿放したり買い換えたり、そう簡単には出来ないのである。それゆえ分譲マンションに関する諸問題の根は深い。

建物の⽼朽化と住⺠の⾼齢化という「⼆つの⽼い」がマンションを直撃する難題⼭積の中で、本書によればスラム化し廃墟化したマンションが出現する⼀⽅、住⺠たちの努⼒で資産価値を⾼めた例もあるという。⼀体、両者の明暗を分けるのは何であるか。本新書を読む限りでは、その明暗を分かつのは、マンション区分所有者で作る⾃治的な共同体である管理組合に各⼈が積極参加して管理組合を通してマンションの管理維持を主体的に果たすこと。逆に⾔えば、⼀部の住⺠にのみマンション管理や維持・改修の事柄を任せきりで、多数のマンション住⺠が⾃分が住むマンションの管理組合活動や維持管理に無関⼼である、いわゆる「無関⼼のベール」がマンション住⼈の多くを覆(おお)う時、そのマンションはやがて来る⽼朽化の問題に対応できず、その他の諸問題も噴出してスラム化の廃墟状態の衰退に⾄るという。つまりはマンション住⺠の精神的なもの、問題が⽣じた際の⾃治的共同体の形成、そのための常⽇頃からのマンション住⼈同⼠での「草の根」コミュニケーションが⼤切であり必要だと著者はしている。

そして、そういった住⺠の主体的な⾃治意識という精神的なものの⼤切さを説いた上で、例えばマンション管理組合の法⼈化(管理組合を⾮営利制度に基づく管理組合法⼈にすることでマンション内の権利関係がシンプルかつ明確になり、⼤規模改修時や住⺠の管理費滞納、規約違反による⽴ち退き交渉調停などがやり易くなる)や、マンション⾃体に付加価値をつける⽅法(住⺠の⾼齢化に伴って訪問看護ステーションのサテライト誘致をなす)など、マンション⽼朽化に抗して購⼊マンションの資産価値を維持・上昇させるための、より具体的で現実的な施策を紹介している。

私は現時点でマンションの住宅問題で何ら悩んでいなし、将来マンション購⼊する予定もない。岩波新書「⽣きのびるマンション」を読んで、「俺ならマンション購⼊はしない」の率直な思いを持つ。本新書にて紹介されている、阪神・淡路⼤震災(1995年)で被災した神⼾市灘区のマンション「六甲グランドパレス⾼⽻」(178⼾・1980年竣⼯)の事例(被災後に住⺠の間で建て替え派と補修派に分かれて対⽴し、泥沼の裁判闘争に突⼊して最⾼裁まで争って結審に13年かかったという⾃宅マンションをめぐる泥沼の不⽑な「勝者なき闘い」の例)など⼀読して私は、いたたまれない気持ちになる。⾃分の「終(つい)の棲家(すみか)」を探して選ぶなら、⾯倒な分譲マンションであるよりは⼀軒家の⽅を確実に選ぶ(笑)。

マンションは各⼾が独⽴して⾃⾝の⾃宅を所有してはいるけれど、隣世帯と上階と下階の世帯とも繋(つな)がった「⼀つ屋根の下」の共同住宅であり、複数の所有者よりなる建物住宅であるため、仮にどんなに善良な⼈達が隣り合わせに住んでいたとしても、⽇常的な管理維持や緊急時の修理・改修や⽴て替えの際にだいたい必ず揉(も)める。共同住宅のマンションの場合、何をやるにも分譲世帯の各⼈が所有者であり等しく権利者であるのだから全員⼀致の決定が原則である。だが、どんな事柄でもマンションの全住⺠が賛成⼀致することは難しい。全員⼀致が到底無理で、最後は多数決や裁判に持ち込んで形式的に「解決」しても、住⺠同⼠で割れて対⽴した後味の悪い互いの遺恨が⼤概は残る。本書にて著者がいうように「感情の動物である⼈間が集まって⼀つ屋根の下で暮らすマンションは、きれいごとだけでは済まない」のである。

と思っていたところ、本書を最後まで読んで「あとがき」での著者による次のような結語に思わず私は、はっとさせられた。

「⼈⼝減少社会で、住宅を社会的資産に昇華させ、いかに⻑く住み継いでいくか。具体的な構想が問われています。マンションが等しく背負う『⼆つの⽼い』の克服は、その構想⼒を培(つちか)う可能性を秘めているでしょう。視野を少し広げると、⼆つの⽼いは社会全般に及ぶ課題だと気づきます。たとえば、上下⽔道や道路、橋、港湾といったインフラも⽼朽化し、メンテナンスできる技術者や地域の住⺠も⽼いています。⾏政の庁舎や学校、公⺠館、体育館などのハコモノも歳⽉を経て劣化し、住⺠の⾼齢化と⼈⼝減少の荒波をもろにかぶっています。病院もまた然り…。極論すれば、私たちが⽬にするすべてのモノやしくみが『⼆つの⽼い』の重圧にさらされているといっても過⾔ではありません。ここを、どう乗り越えるのか。マンションの維持管理と、公益のインフラ整備を同⼀視することはできませんが、本書で提起した『私』と『共同体』のベクトルのすり合わせは、⼀つの⽴脚点ではあろうかと思います」(「あとがき」)

分譲マンションをめぐる今⽇の「⼆つの⽼い」克服の課題は、マンションに対してのみの問題ではなく、実は上下⽔道や道路、橋、港湾などの公共インフラと⾏政庁舎や学校、公⺠館や体育館ら公共施設にそのまま当てはまる問題でもあるのだ。「極論すれば、私たちが⽬にするすべてのモノやしくみが『⼆つの⽼い』の重圧にさらされているといっても過⾔ではありません。ここを、どう乗り越えるのか」。建物の⽼朽化と住⼈の⾼齢化に処するマンションの維持管理と再⽣という本書で扱われている問題は、公共インフラと公共施設の⽼朽化が着実に進むなか、少⼦⾼齢化で⼈⼝減少の現在の⽇本社会にて、限られた公的予算と少ない⼈員でそれら公共物をどう維持管理し修繕・改修して再⽣させていくかの問題と、確かに双⽅を全く同⼀視することは出来ないにしても、実のところ連続している。両者の問題の根本構造は同⼀だと思える。

岩波新書の⾚、⼭崎淳⼀郎「⽣きのびるマンション」の読みの落とし所は、本書をマンションの問題としてのみ読まず、上下⽔道や道路や橋などの公共インフラと⾏政庁舎や学校や公⺠館ら公共施設のそれにまで敷衍(ふえん)させて読むことにあると最後に私には危機感を持って思えた。