アメジローの岩波新書の書評(集成)

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岩波新書の書評(451)天畑大輔「〈弱さ〉を〈強み〉に」

岩波新書の赤、天畑大輔「〈弱さ〉を〈強み〉に」(2021年)の表紙カバー裏解説は以下だ。

「四肢マヒ、発話・視覚・嚥下(えんげ)障がい、発話困難。中学の時、突然重度障がい者となった著者は独自のコミュニケーション法を創り、二四時間介助による一人暮らし、大学進学、会社設立、大学院での当事者研究、各地の障がい当事者との繋(つな)がりを、介助者とともに一歩一歩実現。絶望の日々から今までを描き、関連の制度についても述べる」

また著者である天畑大輔(てんばた・だいすけ)については、本書奥付(おくづけ)に次のようにある。

「1981年広島県生まれ。96年若年性急性糖尿病で救急搬送された病院での処置が悪く、心停止を起こす。約3週間の昏睡状態後、後遺症として四肢マヒ、発話障がい、嚥下障がいが残る。2008年ルーテル学院大学総合人間学部社会福祉学科卒業。17年指定障害福祉サービス事業所『(株)Dai−job・high』設立。19年立命館大学大学院先端総合学術研究科一貫制博士課程修了。博士号(学術)習得。同年より日本学術振興会特別研究員(PD)として,中央大学にて研究。20年 『一般社団法人わをん』設立。代表理事就任。世界でもっとも障がいの重い研究者のひとり。専門は、社会福祉学、当事者研究」

本新書のサブタイトルは「突然複数の障がいをもった僕ができること」である。本書は全八章よりなる。冒頭に「この本では僕の中学生のときからの軌跡をまずお伝えしたいと思います」とあって、著者が中学生の時に海外留学よりの帰国後、異常な体重減少と体調悪化から意識朦朧(もうろう)となり、若年性急性糖尿病での緊急入院と手術治療を経て、後に主治医から「残念ながら、今の医学ではあなたを治療する方法はありません」との完治は不可能の説明を受けて、障がい者になってから今日までの自身の軌跡を述べている。その間の退院後のリハビリ施設への入所と在宅生活への移行、養護学校と福祉学科のある大学への進学、大学院進学と博士論文の執筆、介助者との日々のやり取りの日常(主にその葛藤や問題)、自身が介助者派遣サーヴィス事業所を設立起業する現在までが、「1章・『障がい者』になる」から「7章・当事者事業所の設立」の全七章のうちに記述されている。その上で最終章たる「8章・〈弱さ〉と向き合い、当事者になる」にて自身の考えを総括し、まとめる構成になっている。

私が岩波新書「〈弱さ〉を〈強み〉に」を読んで印象に残ったのは例えば、

最初に原因不明で意識朦朧となり、後に若年性急性糖尿病と診断されたが、搬送先の病院での処置が適切でなく、その不適切処置のため後に後遺症の障がいが残ったとして、本人と両親が病院に対し医療裁判を起こしているらしいこと。☆発話困難の著者のために拡大代替コミュニケーションの内の聴覚走査法である「あかさたな話法」(介助者が本人の腕を取り「あ、か、さ、た、な…」と行頭の文字を順番に読みあげ、その声のタイミングに合わせて介助者の腕を引くことで文字選択して単語や文章を相手に伝えていく話法)を日々使用し、意思表示や会話や執筆をしていること。☆大学生活にて、介助ボランティアでは善意の任意参加でシフトが組めず、また善意のボランティアの場合は介助される側の「私」が「可哀想な存在」であることで、ボランティアからの「助けてあげよう」の善意を獲得し初めて自分が介助者を得られる関係であることから、自分にはボランティアに気遣う気苦労が絶えなかったこと。そして、このボランティアの限界や公的介助制度利用上での問題が、後に著者が在宅生活や親元を離れての一人暮らしの際、家族以外で365日24時間付き添い見守る介助者の必要が生じた時に介助者派遣事業を立ち上げ、介助者と雇用契約を結んで著者みずからが事業所運営の乗り出すことに後々つながっていく点。☆著者は自分の「親亡き後」のことも考え、特に母親と元恋人に対し自分の「依存」が重すぎたことを非常に強く反省的に感じている記述の下り

などである。本書を読んで、「書籍を読むことは、読むことを通して著者が置かれた状況やその背後にある現代社会の問題、そして何よりも書籍を書いた著者その人をそのまま知ることだ」の読書にまつわる一つの真理を改めて痛感する次第である。

本書の読み味は、私が昔に読んだ、例えば乙武洋匡「五体不満足」(1998年)や春山満「僕にできないこと。僕にしかできないこと」(2000年)に似ている。本新書の著者・天畠大輔は、乙武洋匡(先天性四肢欠損。東京都教育委員などを歴任。タレント活動も行う)、春山満(24歳より進行性ジストロフィーを発症し、首から下の運動機能を全廃。全国初の福祉のデパートを開業し、介護・医療のオリジナル商品の開発・販売を行う)を思わせる。天畠も乙武も春山も身体に何らかの不自由の困難を抱えながらも、精神は強い。精神的にタフで容易にへこたれず、自身の自立に加え積極的な社会参加を果たし、他者や社会全体への働きかけの影響力も相当にある。

ただ私が岩波新書の天畠大輔「〈弱さ〉を〈強み〉に」を手に取り読んでいて終始疑問であったのは、「著者において一体どこの何が弱さであるのか!?」ということだ。本書の最終章「〈弱さ〉と向き合い、当事者になる」を読むと、どうやら天畑大輔は「身体が自由に動かず、話せず、よく見えず、残された 『考える』ことしか自分を活かす道がない」ことに加え、日々の生活から、研究者を志した自分にとって研究者として不可欠な文章作成に至るまで「介助者の能力に 『依存』していること」が自分の「弱さ」だと感じ考えているようである(203・204ページ)。その上で、この自身の「介助者の能力に 『依存』していること」という「〈弱い〉主体としてのあり方も受け入れる」ことを通して、「〈弱さ〉を〈強み〉に」と天畠はいうのであった。こうした自身における「弱さ」から「強さ」への価値転回の主張は、書き出しから結語まで連続して貫かれる本書での基調の議論である。

だが、例えば「日々の生活にて絶えず介助者の能力に 『依存』していること」は、本当に人間の「弱さ」なのだろうか。そうした介助者に「依存」のあり様は、果たして「弱さ」といえるのか。仮に私が歩行不能で車椅子を使っていたり寝たきりであったり発話困難だったり知的障がいがあって、一人で生活できず他人の介助の助けを借りる「依存」の状態であったとしても、そのことをもって「自分は弱い」「これが私の弱さだ」と思うことはない。自身の身体・精神の障がいに関し、「不便であり、他の人に比べて自分は面倒なことが多く困難を余計に抱えている」と思うだけだ。そういった、特に身体にまつわる不自由の障がい、そしてそのことにより周りの人々の助けを借り「依存」しなければならないことを、私は人間の「弱さ」とは決して考えない。

なるほど、著者の天畠大輔は能力主義に異常にとらわれすぎている。現代社会の病理である所の能力信仰に心酔している。ここでいう「能力主義」とは、本書にて著者の天畠が述べているように、「その人の能力でその人の価値が決まる考え方」(193ページ)程度の意味であり、事実、天畠は、

「大学院への進学を経て、介助者との協働によって博士論文を書く際に、介助者をリクルートする時点で、ある程度文章作成能力にすぐれた人材を意識的に集めていくようになりました。能力主義に翻弄(ほんろう)されながら、僕は能力主義から逃れられないことも同時に知りました。僕は障がいの社会モデルを持っている一方で、能力面においては、個人モデルとして評価されたい自分の欲求も強く自覚することとなったのです」(「『能力』という個人モデルを捨てきれず」193・194ページ)

と書いている。それどころか、「そもそも僕の大学院進学の動機は『もっと誰かに称賛されたい』『もっと目立ちたい』という思いでした」(192ページ)といい、この能力主義を支える、他者に対抗する能力的優越感確保の欲求や社会一般の人々から自身に寄せられる称賛獲得の承認願望が自分の中にあることを正直に認め告白し、「大学院進学と博論(博士論文)執筆の動機は自分の承認願望を満たすにはうってつけのものでした」(192ページ)とさえ、あからさまに本書にて述べるのであった。そうして、この「他者から自分に寄せられる称賛を求めたり、自身の承認願望を満たしたり、能力主義を捨てきれない私」に関し、果たしてこのままでよいのか、 何ら再考や反省や修正を受けずに以前と変わらず私はこの能力主義に傾倒し邁進し続けてよいのか、の議論はない。本論にて皆無である。著者による能力主義への信仰告白は、最終章の「〈弱さ〉と向き合い、当事者になる」にて主に述べられているが、この自身の能力主義への傾倒を認める話題が出た後、能力主義の問題それ自体に対する批判的考察は何ら深められずに、話は著者における自分の「生きづらさ」についての内容にいつの間にか流れてしまう。

ここだけの内緒の小さな声で言えば、「著者は能力主義に傾倒し能力信仰にとらわれ過ぎているために、自身の身体的な不自由の障がいを自分の『弱さ』だと考えてしまっている。しかも、複数の障がいを有する『社会的弱者』の自分が日常的に自身の介助者と接したり、事実、介助者派遣サーヴィス事業を立ち上げる際にも、「事業所をつくって、あなた自身でよい介助者を育てればいいのよ」という障がい当事者先輩のアドバイスを聞いて「自分が有能な介助者を育成する」意図で着手しており(158ページ)、ゆえに例えば博士論文執筆の際の代筆での介助者における文章作成能力の力量や社会常識・一般教養の知識の総量ら、介助者が「介助をやる人」になる以前にもともと備えている人間の各種の卓越能力を集め、その他、有能な介助者適性の見極めのために介助に伴う動作技能の高低や障がい者への気付きの深さや早さの機転配慮の能力具合ら、天畠は時に相手に分からないよう密(ひそ)かに反応動作を試したりの結果、介助者に暗に厳しく能力要求し精査して、能力が足りない人を安易に否定し切り捨てるようなことに、この人は結局なるのでは!?」の不安の危惧が私の中で拭(ぬぐ)えない。

実はこの種の障がい者が、自身の身体的障がいを「弱点」や「難点」と強く否定的にとらえるため、その不自由な身体的「弱点」を他の能力要素で早急に代替回復しようとし(「〈弱さ〉を〈強み〉に」とか「五体不満足でも何ら不幸ではない、むしろ毎日が幸せ」とか「僕にできないこと。僕にしかできないこと」など)、能力信仰にハマって身体以外の精神面で、他者に厳しく能力要求して、時に能力が足りない人を安易に否定したり切り捨てたりする問題は、書籍を読んでいて、岩波新書「〈弱さ〉を〈強み〉に」を出した天畠大輔と性格的・精神的・思想的に類似していると私には思われる、先に挙げた乙武洋匡と春山満にも共通するものだ。

乙武も春山も身体に何らかの不自由の困難を抱えながらも、精神的にタフで強く自身の自立に加え積極的な社会参加を果たし、他者や社会全体への働きかけの影響力が相当にあったが、その反面、不倫を重ね妻に暴言のモラハラを振るったり、裏で介助者に高圧態度で接していたり(乙武洋匡)、福祉事業を利益追求ベースの「福祉介護ビジネス」にのみ乗せるため、高所得で富裕な障がい者とその家族しか眼中になく富裕層に対してだけ熱心に商売する、経済力がない貧困で苦しむ障がい者と家族には無関心で結局は切り捨てている(春山満)など、話題の著書出版や自身が派手に露出するメディア出演の裏側で、彼らは周囲の人々に時に非情で高圧的・権力的に振る舞う問題が指摘された人たちでもあった。

身体的な障がいを「弱さ」と、なぜか負の価値で認識してしまうことで、その心身面の不自由さの「弱さ」は直(ただ)ちに克服され「強さ」へ価値転回されるべきとする強迫的な思考が働く。そうして、そもそも身体的・精神的障がいを「弱さ」と価値づけてしまう背景には、その人の中に能力主義(「能力の有無や優劣で人間の価値は判断される」とする考え)に基づく価値意識の人間観が強固にあって、身体や精神の障がいは能力の不足や欠如のマイナスだと理解されるから、それら障がいが他者や社会に「依存」している「私という人間の弱さ」になってしまうのであった。だから、また余計に自分の中で思われている、不自由で能力の不足・欠如である「弱さ」を、他者よりも優越した有能な別の所での能力発揮の「強み」に変えるべきとする能力主義に余計にのめり込み、自身や特に周囲の人達に対して能力信仰から厳しい能力遂行の過酷要求をしたり、能力が低いと自分が思う相手に対し時に高圧的・権力的に振る舞う羽目になってしまう。

今さら改めて言うまでもないことだが、身体・精神の障がいがあって不自由で何かを出来ないことの能力の不足や欠如、そしてそのことにより周りの人々の助けを借りて「依存」しなければならないことは、何ら人間の「弱さ」ではない。ぞもそも人間は製品や商品の物とは異なり、機能の能力が仮に欠落し劣っていたとしても、そのことを「弱さ」と指摘され責められて排除されたり、他者と社会から軽蔑され人格否定されたりするような軽い存在ではい。具備して発揮できる個人の能力の如何にかかわりなく、人間であるだけで全ての人は平等に尊厳性をもって他者と社会から丁寧に接せられねばならないからだ。

製品・商品の物とは違い、物の性能に当たる当人の能力で判断される能力主義の能力信仰を超えた所に人間はある。ゆえに、自分の身体的な不自由の障がいを「弱さ」と認識して、早急に「〈弱さ〉を〈強み〉に」変えるような価値転回の強迫的な必要性などない。仮に私に何らかの身体的な障がいがあって、一人で生活できず他人の介助の助けを借りる「依存」状態であったとしても、そのことをもって「自分は弱い」「これが私の弱さだ」と思うことはない。自身の身体・精神の障がいに関し、「不便であり、他の人に比べて自分は面倒なことが多く困難を余計に抱えている」と単に思うだけだ。そういった身体や精神にまつわる不自由の障がいを人間の「弱さ」だと安直に考えてはいけない。