岩波新書の赤、大日方純夫(おびなた・すみお)「警察の社会史」(1993年)の概要は以下だ。
「日露戦争直後、東京市の警察署の八割が襲撃される日比谷焼打ち事件がおきた。だが、わずか十数年後、関東大震災では『自警団』が登場し、民衆はすすんで『治安』に協力するようになる。この変化は何を意味するのか。『民衆の警察化』が典型的に押し進められた大正デモクラシー期を中心に、社会生活のすみずみにまで及んだ『行政警察』の全体像を解明する」(表紙カバー裏解説)
本新書は、政治警察である高等警察、犯罪捜査に当たる司法警察、営業・風俗・交通・衛生の指導に当たる行政警察の内、最後の「行政警察」にテーマを絞って明治から大正・昭和へと移り変わる近代日本の警察の歴史を概観したものだ。高等警察のような国家による検閲統制の思想犯取り締まり、司法警察のような犯罪事件の捜査と犯人逮捕ではなくて、民衆の日常的「社会」生活を幅広く管轄する行政警察を扱ったものなので「警察の社会史」という「社会史」タイトルになっている。
本書の第一の読み所は、序章にての日露戦争後の講和に国民大衆の不満が爆発した日比谷焼打ち事件(1905年)を機に群衆に警察署や派出所が襲撃され、ついには「警視庁廃止論」まで飛び出す明治日本の昔の日本人の警察に対する不信感と攻撃性、治安規範を遵守しない民衆の奔放さの意外性である。おそらくは現代の私達の印象からして、近代天皇制国家の体制下にあった民衆は国家権力の物理的暴力を体現する全国的な警察組織網の下で厳しく監視・抑圧され、また国民一般もそうした警察権力に恐怖を抱き従順に支配されていたかのように思いがちだが、実はそうではなかった。明治日本の日比谷焼打ち事件の民衆暴動を史料に即して見ると、警察忌避の民心、民衆間にての激烈な反警察感情と行動を読み取ることが出来るのであった。
そうした過去において警察署が襲撃されるといった現在の常識から到底信じられない最低の状況からはじめて、国家の工夫努力の下に警察権力が民心を取り込んで馴致していく過程を、史料を多く引用紹介し具体的・段階的に示していく記述が本書の第二の読み所の面白さだといえる。
それは「警察の民衆化」と「民衆の警察化」の二方向からの警察と民衆の歩みよりの一体化であり、前者の「警察の民衆化」は「宣伝する警察」、例えば現在まで続く警察による交通安全キャンペーンの開始(1919年)、小学生の警察署参観(見学)や警察展覧会の各地での催し、警察による人事相談所(精神上・職業上・雇用上・感化保護上・衛生上の案件、住宅問題などの相談にのる機関)開設の各種運動であった。それは醒(さ)めた目で見て国家からする印象操作の連続であり、草の根から警察に親しみを覚えさせたり警察に頼らせたりしていくあまたの手段であった。
他方「民衆の警察化」については、本書によれば関東大震災(1923年)の戒厳令下の帝都・東京での市民による自警団の組織化が一大転機で決定的であったとされる。震災による事後の大規模火災と流言(「さらに強震あるべし」「昨日來の火災は多くは不逞鮮人の放火、爆弾投てきによるものなり」の根拠のない噂)の混乱の中で、警察だけでは物理的に対応できず、文字通り民衆みずからが「警察」となった。この「民衆警察」の組織が、やがて平時でも日常的に機能する「自警団」になっていったという。だが、もちろん自警団形成の「民衆の警察化」は、関東大震災が直接の契機であったわけではなく、震災以前の大正期にての日本の都市化、資本主義化に伴う匿名隣人との群生による都市での犯罪多発や、各人の財産所有意識の高まりを受けての防犯の強化、階級闘争の労働運動や民衆擾乱による治安悪化の時代状況が背景にあって、自警団は関東大震災以前にあった。そのことを暗に指摘することも著者は忘れていない。
そうして「警察の民衆化」と「民衆の警察化」の二方向からの警察と民衆の歩み寄りの一体化は、当然ながら警察と民衆との対等な協力の線では結実しない。むしろ、それは民間の治安組織たる「自警団」を国家の体制の自発的下部組織に取り込み、日常の社会生活から国民を馴致し監視し支配していく国家体制を貫徹ならしめる「警察の社会化」である。いつの間にか警察は「人民保護の機関」から「人民抑圧の機関」へ転回する。だから大正以降、地域ごとの自警団は警察と青年団、在郷軍人会、消防組による肝いりで、民衆騒擾を前もって先制的に「鎮撫」する騒擾弾圧の強硬路線へ移行する。ここから昭和の戦時体制下にての大政翼賛会(産業報国会、青少年団、翼賛壮年団、婦人会、町内会、隣組)へと国民は行政警察に果てしなく囲い込まれていくのであった。
本書によれば、こうした民衆の「自警」の意識を元に警察行政に人々を抱き込み協力させ、政府の国民支配に対する反感を排し、同時に共産主義・無政府主義者や在日外国人に向けての警戒と憎悪を煽(あお)って市民間に相互の監視を期する「国民警察」の構想は、米騒動直後の原敬内閣成立時(1918年)より当時の警視総監・岡喜八郎の提唱にてあったという。それが、前述のように1923年の関東大震災での自警団活動の、いわゆる「民衆の警察化」の画期の社会認知を経て、天皇中心主義の治安確保の職責を前面に押し出した1938年の「日本警察綱領」にて国民警察構想は到達点を迎えるとともに、「日本警察綱領」が1920年前後の変動を経てきた日本近代警察そのものの帰結点であったとされる。
本書にて、民衆の「自警」意識を促し行政警察を通して国家が市民社会への干渉・統治を広げていく目論見と、支配統治の安心感の気持ちよさにはまっていく国民の心情とが並列的に示される。その不気味さと異常さの過程を近代日本の「警察の社会史」として本書は上手く描き出している。
確かに、治安が良くて社会生活が安全であるに越したことはない。今日でもマスメディアは警察を短絡的に「正義のヒーロー」扱いしたり、治安確保のために個人の私的情報が国家に筒抜けで一元管理されることに対し無警戒な世論の風潮があるが、そういった「社会の安全」や「治安の確保」のために(行政)警察が果てしなく幅を利かせ、国民の社会生活を各方面から干渉・監視する「警察的眼光」を光らせる社会の有り様はどうなのか。「国民の保護機関」というよりは「国民の抑圧機関」として実質的に機能していた戦前日本の警察の歴史を振り返るにつけ、果たして「警察は常に一般市民の味方であるのか」。そうしたことを岩波新書「警察の社会史」の中で著者の大日方純夫は直接には語らないが、行間から言外の意として本書を読む者に知らしめてくれる。そこが本新書の第三の読み所であり、最大の良さであると私には思えた。