アメジローの岩波新書の書評(集成)

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岩波新書の書評(75)池田潔「自由と規律」

岩波新書の青、池田潔「自由と規律」(1949年)は副題が「イギリスの学校生活」であり、英国のパブリック・スクールについて述べたものだ。

著者によれば、ケンブリッジ、オックスフォードの両大学は英国型紳士修業と結びついて有名だが、あまり知られていない、その前課程のパブリック・スクールこそイギリス人の性格形成に基本的な重要性を持っているという。著者は若き日にパブリック・スクールに三年、ケンブリッジ大学に五年と前後合わせて八年の教育をイギリスで受け、さらにドイツに渡りハイデルベルグ大学に学ぶこと三年、後に帰国して本書執筆時には慶應義塾大学にて英文学専攻の教授であった人である。

かくしてイギリスのパブリック・スクールで以前に学んだ著者は、自由の精神が厳格な規律の中で見事に育(はぐく)まれてゆく英国の教育システムを「自由と規律」と題して、自身の体験を通し素描していく。 著者いわく、パブリック・スクールでの学校生活は「紳士道の修業」であり、精神教育に重点が置かれている。全ての学生が紳士として待遇され、各自がその自覚のもとに行動を律することを求められている。イギリスの学校生活は極めて制限された物質的に厳しい生活である。それはパブリック・スクールの教育主眼が精神と肉体の鍛練に置かれているため、この苦難に耐えることが人間形成の大きな力になると考えられているからである。

パブリック・スクールは英国の私立の中等教育学校である。大学進学以前の13歳から18歳の子どもらが、そこで教育を受ける。パブリック・スクールのほとんどは寄宿制(全寮制)の男子校である。入学基準は厳格であり、その上学費も高額であって入学できるのは上流階級の裕福な家の子弟に限られる。ゆえにパブリック・スクールはイギリス支配階級のエリート育成機関であるともいえる。事実、卒業生のほとんどが大学進学して後に英国社会の中で指導的地位につく。この教育機関にてイギリス保守主義や封建思想の醸成(じょうせい)が認められることも確かで、英国のパブリック・スクールにはどこか伝統的古風な王室貴族調の雰囲気も漂う。パブリック・スクールを舞台にした映画に「チップス先生さようなら」(1969年)というのがあった。あの映画を観るとイギリスのパブリック・スクールの実際の雰囲気を映像を介して感じ取ることができる。

著者は自身が在籍したパブリック・スクール(リース)での体験をもとに、「しかしこれ等のどの学校に就いても云える、いわばイギリスのパブリック・スクールを通じての公約数的な特徴ともいうべき幾つかの点が挙げられると思う」として、以下の五つの点から英国パブリック・スクールについての概括的な説明を行っている。

「(一)寮、(二)校長、(三)ハウスマスターと教員、(四)学課、(五)運動競技とその精神」

例えば「寮」の項目にて、寄宿制度の寮生活で教師と学生が一日二十四時間にわたる共同生活により、学生相互の緊密な接触を通して常に人格陶冶の機会が生まれる。共同生活を送ることで私性の個人主義に堕落しない、他人や全体の利益のために奉仕する人間育成がなされる。パブリック・スクールの寮には大学とは違い学生個々に私室は与えられていない。相部屋での共同生活にて常に規律に定められた厳格な生活の履行、それが「パブリック・スクール精神」である。「どこの学校でも必ず校長の邸が中心にあり、寮の数は定っていないがその中の一棟は必ず校長の邸に接続している」。また「ハウスマスターと教員」における、「ハウスマスター」とは「多数の教員の中、とくに選ばれて各寮に専属し、学生と起居を共にしてその訓育に当る責任をもった教員」を指す。このようにパブリック・スクールでは、「校長」を中心として教員(「ハウスマスター」)と学生とが全員同じ敷地内で起居を共にし、「寮」から学校に通う規律厳しい共同生活を日々、送っているのであった。

池田潔「自由と規律」の初版は1949年であり、後に改版を重ねて各世代に広く読まれ続けてきた良書といえるが(私が所有しているのは2005年発行の何と第90刷である!)、書評にて「著者がパブリック・スクールでの学校生活を美化しすぎている」という旨の批判が他方で昔から根強くある。確かに、一部の上流階級の裕福な家の子弟に入学が限られる英国のパブリック・スクールは「教育の機会均等」原則からして明らかに非民主的であるし、それがエリート主義や選民意識や愚民観の醸成に寄与する弊害もあるだろう。

英国のパブリック・スクールを舞台にした映画といえば、前述の「チップス先生さようなら」に加え、私は大島渚の「戦場のメリークリスマス」(1983年)を即座に思い出す。それら作品内にて描かれる校長への権力集中による学校内での教職員に対する不当人事や卒業生の有力OBによる不可解な校内圧力、あまりにも好戦的で排他的ナショナリズム色が強すぎる愛国保守教育の実施、寮内での学生間の集団いじめなど、本書には書かれざる事柄も本当は実際の学校現場にはあるはずで、「パブリック・スクール礼賛(らいさん)」だけでなく、そうした問題も暗に踏まえた上で本書は読まれるべきであろう。

ところで本新書は「自由と規律」というタイトルだが、なぜそのような題名なのだろうか。それは「自由」を「放縦(ほうじゅう・他人のことを考えず勝手気ままに振る舞うこと)」と厳密に区別し分けて、「やりたい放題で外部から何ら拘束を受けないことこそ自由」とする履き違えを戒(いまし)める、「自由には規律をともなう」とする著者の強い思想があるからに他ならない。当然、それは著者の池田潔が若き日にイギリスのパブリック・スクールにて自身の身を以て学んだことであった。そして「自由には規律をともなう」というのは同時に、池田潔に本書の執筆上梓を勧めた池田の上司で慶應義塾大学塾長であった小泉信三その人の強い思想でもあった。

「学校の運営には参与出来ず、既定の校則には絶対服従を要求され、宗教と運動は強制的に課せられ、外出はほとんど許されない。自分自身の時間もなく、映画観劇の娯(たの)しみもなく、服装は不断の点検を受け、髭剃を怠ることすら反則であり、質量共に甚しき粗食に甘んじ、些細な罪過も容赦ない刑罰をもって律せられる彼等は自由をもたないのであろうか。彼等─イギリス人の謳(うた)う自由とは如何なるものであろうか。すべてこれ等のことは自由の前提である規律に外ならない。自由と放縦の区別は誰でも説くところであるが、結局この二者を区別するものは、これを裏付けする規律があるかないかによることは明らかである。社会に出て大らかな自由を享有する以前に、彼等は、まず規律を身につける訓練を与えられるのである」(「自由と規律」)

「自由」とは他者や社会からの拘束の欠如であり不干渉状態であり、やりたい放題で何でもできるとするような軽佻浮薄(けいちょうふはく)な「自由」の謳歌(おうか)の勘違いには確かに私も閉口するし、その意味で「自由には規律や秩序、個人の責任が常にともなう」とする池田潔や小泉信三の忠言には、ひとまず私も同意する。しかしながら、その一方で人間の普遍的権利としての自由を「やりたい放題の個人の放縦」や「社会全体を無秩序の崩壊に招く集団的堕落」と矮小化して捉え、個人の自由の権利に「規律」の制限を加えて自由を抑圧する保守主義や全体主義や封建思想の伝統的やり口を私達は実は知っている。事実、戦前の大日本帝国のファシズム体制下にて、そうした「自由」の矮小化読み込みを施した上で「規律」や「刑罰」を加えて人間の自由の制限抑圧を正当化する国家の手法は普通に見られた。

よくよく考えてみれば人間の普遍的権利たる自由など、そう簡単に直接的に制限したり全否定できるものではない。だから国家や政治権力は、そうした「自由と規律」の迂回の策術を用いて巧(たく)みに個人の自由を抑圧する。それは戦前日本の大日本帝国の言論思想統制のみならず、戦前ドイツのナチ・ファシズムでの共産主義者とユダヤ人の弾圧や、旧ソ連のスターリニズムでの反対分子の粛清や、今日の中国の一国社会主義体制下での民主化運動の封じ込めや、現在の北朝鮮の独裁専制支配における体制批判者の逮捕・投獄においても同様だ。

岩波新書「自由と規律」にて冒頭の「序」を記し、初版当時から本新書の推薦文を事あるごとに書いていた小泉信三は、戦後に当時の皇太子の教育係まで務めた日本の皇室を支援する熱烈な天皇制支持者であり、同時に「共産主義批判の常識」(1949年)を書いて終生、マルクス主義を徹底的に敵視し続けた強硬な反共論者であった。そうした小泉信三が池田に執筆上梓を勧め完成後に強く推(お)した岩波新書、池田潔「自由と規律」が、池田のイギリスでのパブリック・スクールの輝かしい学校生活の正当な思い出とは裏腹に、人間の普遍的権利の自由を単なる「放縦」や「堕落」と強引に矮小化した上で個人の自由の権利に「規律」の制限を加え自由を抑圧する策術に悪用されぬよう、そうした保守主義や全体主義や封建思想の誤った時代錯誤の反動文脈にて本書「自由と規律」が読まれることがないように、たとえそれが杞憂(きゆう)であったとしても私は切に願わずにいられない。