アメジローの岩波新書の書評(集成)

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岩波新書の書評(115)土屋祝郎「紅萌ゆる」

岩波新書の黄、土屋祝郎「紅萌ゆる」(1978年)は、著者が自らのことを「土屋」と表記し「旧制第三高等学校での土屋の青春」を描いたものだ。著者の土屋祝郎は1904年生まれであり、土屋が旧制第三高等学校に在学して学んだ時代は本書の副題通り、まさに「昭和初年の青春」であった。旧制の第三高等学校には寄宿舎「自由寮」が置かれていた。寮歌は「逍遥の歌」(しょうようのうた)である。歌い出しは「紅萌(くれない・も)ゆる岡の花」。この寮歌の詞に本書タイトル「紅萌ゆる」は由来している。

現代の私達はしばしば誤解しがちだが、旧制高等学校といっても現在の高校ではない。旧制の高等学校は今の大学前期課程に該当し、教育内容は現在の大学教養課程に相当する。旧制の第一高等学校は東京にあって今の東京大学教養学部の前身であり、第二高等学校は仙台にあって今の東北大学教養学部の前身であり、そして第三高等学校は京都にあって今の京都大学教養学部の前身であった。それぞれに略称は「一高(いちこう)」「二高(にこう)」「三高(さんこう)」である。今でも「東の東京大学、西の京都大学」というような旧帝国大学の国立大学同士での東西対抗のライバル意識が強烈にあるように、旧制の高等学校時代にも「東の一高、西の三高」の互いの対抗心があった。東京の第一高等学校が「自治」の校風を掲げ幾分、保守的で国家エリート養成の面があったのに対し、京都の第三高等学校は「自由」な校風を標榜して学園の自由を重んじるややアウトロー気質な所があった。

本書の前半は「自由の鐘」「開校記念祭」「京の街」と、著者たる主人公・土屋の入学と入寮から学校生活の日常の比較的楽しい明るい内容である。新たな気持ちで三高に入学して、同級の友人や自由寮の先輩や担当教授らとの出会いがあった。異性との交流もあった。また学校がある吉田山周辺の散策や「京の街」、新京極や祇園を三高の「バンカラ」(当時の旧制高等学生の不良スタイル)な学生服姿で闊歩(かっぽ)したり、休日には八瀬の比叡山や滋賀の琵琶湖の方まで遊びに出かけたりする。昔の学生は皆でよく合唱する。寮歌「逍遥の歌」の「紅萌ゆる」の一節を野外で大声で歌う。出入りの学生食堂や古書店でも、京都の街の人達は三高の学生に一目置いて優遇してくれる。

私が所有しているのは1978年6月発行の第3刷である。初版は1978年5月であるから、わずか1ヶ月の間で3刷まで刷(す)っていることになる。土屋祝郎「紅萌ゆる」は発刊初年の1978年で相当に読まれている。それは、おそらく本書には旧制第三高等学校の卒業生でなくても、特に昭和初年に学生であった人でなくても、さらには入寮経験なく大学生活を京都で過ごしたことのない人であっても、何かしら学生生活への自身の思い入れがある人には出身校と世代を越えて、ある種の共感を持って読める普遍的な魅力があるからに違いない。

私は三高の後身の京都大学出身ではないし、もちろん戦前の昔の「昭和初年の青春」を経験してもいない(笑)、はるか後の1990年代に大学生生活を過ごしたが、自分の学生時代を思い返しながら非常に楽しんで、なぜか「懐かしい気持ち」になりながら本書を一気に読めた。大学入学から卒業までに当たる10代後半から20代前半にかけて人は一番感受性が豊かで知識もどんどん吸収でき、体力もみなぎって大いに無茶もやれる。物怖(ものお)じせず失敗をものともせず、自信を持って何でもできる。大概のことは何でもやれる。この若い時代の数年間は後々、各人にとって人生の輝ける大切な宝になりうるのではと思う。少なくとも私の場合、誠に幸運なことにそうだった。

しかしながら、本書の後半になると一転して「暗い影」「学生処分」「大ストライキ」「特高の手」の章が重なり、三高生の土屋の「昭和初年の青春」は急激に暗くなっていく。昭和に入って日本の近代天皇制国家にて、天皇制ファシズムが不気味に拡大して国体論と皇国史観が次第に幅を利かせ、思想・学問の自由は抑圧制限されていく。国家当局からの統制・検閲は日常的になり、大学教授の筆禍事件が頻発し、ある教員は発禁や退職を余儀なくされる。そうした思想・学問の自由への弾圧は特に共産主義者に対してだけでなく、西洋の自由主義を志向するリベラルな思想立場の教員たちにも広く及ぶ。三高でも土屋ら学生の前で教壇から、「皇位の象徴は三種の神器ということになっているが、伊勢神宮の中で一番尊いのは一本の柱の方」云々と遠回しに間接的に神権的天皇制を批判するリベラルな教師はいる。しかし、面と向かって正面から堂々と大声で教師らは抗議できない。教師ら大人には自身の出世や社会での体面や自分と家族の生活確保のため、失職の恐怖があるからだ。

だが土屋ら若い学生は、そうした大人の教員たちと違っていた。彼らは自身の保身を勘案せず、後先考えずに行動する。土屋らは「大ストライキ」や学生自治会機関紙「自由の旗」の発行をやる。国家からの思想・学問の自由の抑圧制限を不当なものと率直に感じて、国家当局の指導に従順な校長を始めとする管理的な学校に対し抗議の学生運動をやる。当時、ソビエトの共産理論の社会科学の書籍、レーニン「唯物論と経験批判論」(1909年)、ブハーリン「史的唯物論」(1921年)、プレハーノフ「史的一元論」(1929年)を三高の学生達は日常的に読んでいた。

そうしてある日、授業中に運動のリーダー格たる土屋に対し校長室に来るよう呼び出しがかかる。土屋が校長室へ入っても校長はいない。そこには二人の男がいるのみである。瞬間に土屋は悟る、「しまった、特高だ!」二人の男は思想犯取締りの特別高等警察の刑事であった。土屋は、そのまま警察に引き渡され逮捕、拘留され取り調べを受ける。戦前昭和の日本の警察には人権の観念がないから被疑者の取り調べに際し、自白の強要や転向上申書を書かせるためにはもう何でもやる。執拗な罵倒や過酷な暴力、つまりは拷問である。それは三高の学生、土屋に対しても例外ではない。

そんな過酷な拷問の取り調べの前後で副校長が留置場に面会に来る。副校長が学生の土屋の身を案じて声をかける、「身体の方はどうかね」。「拷問のあることを知りながら自ら警察に学生を引き渡した奴が何をいうか」。土屋は、そうした学校管理職の副校長の偽善を見抜き醒(さ)めた目で冷たく見ながら学校退学の意を伝える。そう、土屋は中途で三高を退学し辞めてしまうのだ。だから「逮捕と拷問」の章を経て、本書の最終章は「退学へ」になっている。ここで第三高等学校での「紅萌ゆる」、土屋の「昭和初年の青春」は突然に終わりを告げる。この最終章「退学へ」での、若い学生・土屋と偽善な大人・副校長との面会やり取りの二人の直接対決の場面は、まるで映画のワンシーンを映像を介して実際に見ているような非常に緊張感あふれる名場面の名記述である。著者の土屋祝郎の文章が優れている。

岩波新書の黄、土屋祝郎「紅萌ゆる」は、前半の誰もがおおよそ共感して懐かしむことができる学生生活の楽しさの普遍記述に加え、後半は学生の土屋と教師の校長ら、若者と大人の対決というある意味、青春文学にて常套(じょうとう)な対立図式に依拠する展開となっており、強力に読者を惹(ひ)きつけ、とりあえず先へ先へと一気に読ませるものがある。