アメジローの岩波新書の書評(集成)

岩波新書の書評が中心の教養読書ブログです。

岩波新書の書評(169)杉田敦「政治的思考」

長い間、岩波新書を読んでいると、一冊上梓しただけでそれきりで終わる人もいれば、後々まで何冊も続けて岩波新書から連続で著作を出す人もいることが分かる。おそらく、これは新書の売り上げや公的書評の多さや各種メディアに推薦図書として取り上げられた反響具合など総合的に考慮した上で、「次回も続けてこの人に書いてもらおう」とする岩波新書編集部の判断が下るからに違いない。

人によって、そうした執筆上梓の回数にばらつきが昔からある岩波新書であるが、私の中では「この人は最良の書き手であるし。今回の新書は相当に良かったのに以後、岩波新書から刊行がなく非常に不可解であり残念だ」と思える人も時にいる。近年の岩波新書の赤「政治的思考」(2013年)を執筆した杉田敦も、そうした岩波新書の書き手の一人だ。

杉田敦「政治的思考」は良書である。杉田ほどの人なら、次回も岩波新書で何か書いて出してもよいと思えるが、硬派で真面目で比較的地味で堅実な内容のため、杉田「政治的思考」は、あまり売れなかったのか、岩波新書から氏の著作は(現在のところ)以後、出ていない。昨今の売れるヒットの岩波新書には、それなりの派手さやインパクトの強さも時に必要であるように思う。

先に述べたように、杉田敦「政治的思考」は良書である。確かに堅実で真面目で地味ではあるが、誠実で本質的な政治学の仕事といえる。ただ本書の「あとがき」にあるように、この新書が出るまでには相当の年月がかかったようである。

「岩波書店の小田野耕明さんから、新書執筆の依頼を最初に受けたのがいつだったか思い出せません。はるか昔であることは確かです。その後、いくつかの企画が浮かんでは消えました。今回、しびれを切らした小田野さんが私の研究室に何度も足を運び、談話を取って文章に起こしてくれなければ、本書はまだ日の目を見ていなかったでしょう」(「あとがき」)

新書執筆に対する杉田敦の一貫した、やる気のなさがうかがえる(笑)。この人は、「自分が世に出て注目されて名を残したい」とか「精力的に執筆活動をやり、自身の著作を連続で何冊も挙げ自著が売れに売れて、ついでに自身も政治学者として売れたい」の「雄弁と勘定」には、あまり興味のない典型的な法政大学の政治学者なのであった。

この人は政治学者として正統派な実力の底力がある。岩波新書「政治的思考」以外で杉田の好著を一冊厳選し挙げるとすれば、杉田の単著ではなくて、あえて市村弘正との共著「社会の喪失」(2005年)を私は強く推(お)す。本書は「現代日本をめぐる対話」であるが、「対話」であるにもかかわらず、わざと市村の聞き手役に徹する杉田の力量と人柄のよさを如実に感じることができる。終始、市村弘正に圧倒されているようでいて、実は杉田敦の方が市村を暗にコントロールしている。そうした「対話」の空気が確かにあるのだ。また市村を介して杉田の政治学の背景にある思想資質(物の考え方の本質)を幅広く知ることができる。「社会の喪失」は読んで楽しい書籍である。

さて岩波新書の杉田敦「政治的思考」である。ここで煩(はん)を厭(いと)うことなく、本書の目次と各章サブタイトルを全て書き出してみると、

「第1章・決定─決めることが重要なのか。第2章・代表─なぜ、何のためにあるのか。第3章・討議─政治に正しさはあるか。第4章・権力─どこからやってくるのか。第5章・自由─権力をなくせばいいのか。第6章・社会─国家でも市場でもないのか。第7章・限界─政治が全面化してもよいのか。第8章・距離─政治にどう向き合うのか」

本書は談話形式で全八章の各政治テーマについて、杉田が静かに語る内容である。突飛なことや人々の関心耳目を無駄に引くような余計なことは語らない。極めてオーソドックスで至極真っ当な政治に関する認識議論だ。現代政治のポピュリズムや市場原理の各文化領域への浸透問題など、今日的な政治の問題についての言及もある。

先に「杉田は硬派で真面目で比較的地味で堅実で誠実」な旨を記したが、それはひとえに、この人が政治学者であるにもかかわらず、最終的にはどこかで政治そのものを権力関係の必要悪と見なし、そうした突き放した観点から、しかし政治学を専攻し、同時に「政治にのめり込んで」政治を考察し論じている杉田の二重の語り口による。政治学のみならず、例えば歴史を研究する歴史学者は、どこかで人間の歴史を実に馬鹿らしい権力争いの盛者必衰の歴史と思い、果てしなく相対化しながら醒(さ)めた意識で、しかし部分的に突っ込んで熱心に歴史を研究して歴史を語らなければ駄目である。歴史そのものを醒めた意識で相対化できていない立ち位置の歴史研究者は、単なる「歴史好き」でしかなく、歴史上の人物や事件にひたすらのめり込んで無邪気に語るマニアな歴史愛好の「歴史の物知り博士」的醜態で終わる。同様に経済学なら、まずは経済そのものを富者と貧者の不公平配分の現象理論と突き放して「経済学批判」をして相対化した上で、かつ専門的に熱く語らなくてはいけない。

政治学者であれば政治そのものを、歴史学者なら歴史そのものを、経済学者ならば経済そのものを、非常に馬鹿らしいと思い、最後的に全否定する視点をどこかに隠し持っていなければ駄目である。そうした意味でいえば、岩波新書の赤、杉田敦「政治的思考」は全章ともに優れているが、政治そのものを突き放し相対化して語る最後の二つ章「第7章・限界─政治が全面化してもよいのか」と「第8章・距離─政治にどう向き合うのか」が、特に読み所であるといえる。

杉田敦のような堅実で優秀な政治学者の書籍がもっとたくさん売れ人々に広く読まれ、氏も今よりも世間に知られ有名になったなら、と私は切に願わずにいられない。