アメジローの岩波新書の書評(集成)

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岩波新書の書評(69)十川信介「夏目漱石」(その3)

(前回からの続き)「道草」(1915年)は、夏目漱石の自伝的小説である。大学の教師となっている健三に親戚中が無心するなどして関わってくるが、健三はその関係を絶つことが出来ないでいる。他方で夫婦仲も悪化し、妊娠中の妻はヒステリーの症状をきたし、健三は彼らとの関係は、いつまでも続くのが人生だという境地にやがては達する。すなわち、「世の中に片づくなんてものは殆(ほと)んどありゃしない」。

「道草」にて、いくつかある内の一つの読み所は、常日頃から健三が忌々しく感じている妻からの出産による、しかし半分は健三自身の分身でもある誕生したての我が子の三女と初めて出会った時の健三の以下のような心持ちの文章だ。

「健三にも多少失望の色が見えた。一番目が女、二番目が女、今度生れたのもまた女、都合三人の娘の父になった彼は、そう同じものばかり生んでどうする気だろうと、心の中(うち)で暗に細君を非難した。しかしそれを生ませた自分の責任には思い到らなかった。…『ああ云うものが続々生れて来て、必竟(ひっきょう)どうするんだろう』彼は親らしくもない感想を起した。その中には、子供ばかりではない、こういう自分や自分の細君なども、必竟どうするんだろうという意味も朧気(おぼろげ)に交っていた。彼は外へ出る前にちょっと寝室へ顔を出した。細君は洗い立てのシーツの上に穏かに寝ていた。子供も小さい付属物のように、厚い綿の入った新調の夜具布団に包(くる)まれたまま、傍(そば)に置いてあった。その子供は赤い顔をしていた。昨夜(ゆうべ)暗闇で彼の手に触れた寒天のような肉塊とは全く感じの違うものであった」(「道草・八十一」)

話の主題テーマに沿った役割人形的な登場人物ではなくて、生(なま)の人間そのものを描くということは、世界企投の人間の実存的存在を描くことであり、それには人間の誕生を描くことが手っ取り早くて最良だ。「道草」以前の「門」(1910年)や「こころ」(1914年)では、漱石は人間の誕生を、すなわち人間の存在状況そのものを書けなかった。恋愛における三角関係は男女二人が恋愛成就して幸福になると必ず一人の不幸な失恋者を出す、「他者の不幸の上に自分たちの幸福を築いた」自身のエゴイズムの罪への報いから、「子供はいつまで経(た)ったって出来っこないよ。天罰だからさ」というようなことを「こころ」の主人公の先生に言わせて漱石は逃げていた。「こころ」と同様に「門」でも、「天罰により子供が夫婦に出来ないこと」を暗に述べる、これと同じような記述がある。しかし、自伝的作品の「道草」にて漱石は自分の分身たる健三の彼の子供の誕生をして、人間そのものを「寒天のような肉塊」と逃げることなく正面から冷徹にあえて醜悪に書いている。

「道草」以前の漱石文学では、日本近代文学として人間悪のエゴイズム追及を男女間の恋愛の三角関係の人物関係装置に依拠して漱石は何度も執拗に書き重ねてきたが、そこでの人間悪のエゴたる由来の実態は、三角関係の複雑な相関にて自身が幸福を志向して相手を求めると、必ず他者をはじいて不幸な失恋者にしてしまう行動選択の結果としての、いわば「作為」を伴う人間悪であった。だが、「道草」では誕生したばかりの我が子を「寒天のような肉塊」と幾分の醜悪さにて描写したように、特に男女間の複雑な恋愛問題にて主体的な「作為」の選択行動がなくても、人間は新たに誕生して「存在」しているだけで十分に悪なのだ。自分の子供の誕生に際して我が子のみならず自分や細君も含めて皆、「ああ云うものが続々生れて来て、必竟(ひっきょう)どうするんだろう」というのは、健三すなわち漱石自身の偽(いつわ)らざる正直すぎる感慨であった。

こうした「作為はなくとも存在だけで悪」、自身に悪の行為の落ち度も何ら無くて生誕しただけで人間が「存在」しているがゆえに、すでにエゴイズム発露の人間悪というのは、「道草」を読む者には、本編にて執拗に描かれる養父母や妻や姉や義父などから一方的に、不条理なまでに被(こうむ)る不愉快の健三の日常から十分に感受できる。なかでも健三の養父母の島田夫婦による養育エピソード、幼少時の健三に対する夫妻のエゴ充満の仕打ちは、当人には何ら落ち度も「作為」もない、何も知らずにただ生まれてきて育てられているだけの健三にとって、自分という人間が「存在」しているだけで被り痛感する人間悪以外の何物でもなかった。酷薄(こくはく)に言って、それが「運命」であり「世の中」というものである。だから健三は作中にて言う、「人間の運命はなかなか片づかないもんだな」「世の中に片づくなんてものは殆んどありゃしない」。それは自分が生まれて、健三がたまたま心ない養父母や妻や姉や義父に出会ってしまい人的関係を持たざるを得なかった、単に「人的関係に恵まれず運がなかった」の偶然の不幸なのではない。人間が互いに存在する限りにおいて付きまとう、人間そのものについての本質的な悪の問題なのである。

「こころ」までと違い「道草」以後の漱石において、人間は「作為」せずとも「存在」するだけでエゴイズム発露の悪であり、漱石の人間悪認識はさらに深く徹底追及されている。そして言うまでもなく、その人間悪認識の徹底追及は「こころ」での結語記述を通しての、役割や個性を超えた、より普遍的な人間存在そのものに接する新たな広い視界の人的開眼の自己超越という、ある種の発見による漱石自身の劇的な人間的変化によってもたらされたものであった。それは、あらかじめ設定した作品の主題テーマに沿った何らかの「作為」を特別になす役割人形的な登場人物ではなくて、「存在」してある生(なま)のままの人間そのものを直接的に描くという「こころ」から「道草」へ至る漱石の小説執筆の方法変化に明確に裏打ちされていた。「虞美人草」(1907年)から「こころ」までは、漱石は主題テーマも結末悲劇も各人設定も人物相関も事前に精密に決めて、それに沿うように最初から逆算して辻褄(つじつま)が合うように書いていた。それが漱石の作品において、人間描写の不自然さや人物設定の類型化の難点となっていた。しかしながら「こころ」の結末記述でのある種の発見を経て、「こころ」以降の「道草」にて漱石は、事前の詳細設定なく「もっと大きな意味からいう、役割や個人を離れた人間そのもの」を直接に書いている。

夏目漱石は「こころ」から「道草」へ書き継ぐ過程で明らかに変わっている。漱石文学の歩みの全過程にて「こころ」から「道草」の間には大きな断絶があって、その断絶は漱石の文学的飛躍の発展深化である。日本近代文学史における「近代」ということの意味を突き詰めて考えた場合、「近代」は人間中心主義の時代であり、人間の欲望、エゴイズムの負の問題が絶えずついてまわる。そして、自分自身のエゴを見つめ意識化して修正できるのは「近代」の人間のみである。それゆえ「近代」文学は、この人間悪のエゴイズムの問題に深く切り込まなければならない。そうした近代文学において、殊更(ことさら)に「作為」せずとも「存在」するだけで悪という人間そのものを「道草」において初めて書き切った時、夏目漱石は人間悪のエゴイズムを突き詰めた日本の近代文学者として、さらに徹底して一つの深化を遂げていたのである。