アメジローの岩波新書の書評(集成)

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岩波新書の書評(212)貝塚茂樹「毛沢東伝」

岩波新書の青、貝塚茂樹「毛沢東伝」(1956年)は、そのタイトル通り「毛沢東の伝記」であって彼の生い立ちから後に近代中国を代表する政治指導者として活動するまでの伝記となっている。ゆえに毛の著作「矛盾論」(1937年)などの読み込みや批判的検討たる、毛沢東の思想的中身への論及は残念ながら本書にはない。

毛沢東のことを一冊の書籍にまとめるとして、思想内実にまで触れた構成で新書一冊では書ききれないとする著者ないしは岩波新書編集部の判断が働いたからだと思われる。確かに毛沢東について、彼のマルクス文献の読み、当時のソヴィエトのマルクス・レーニン主義と毛沢東主義との異同、彼の組織論と政治的実践に関する再吟味、さらには毛沢東の性格・嗜好の人間的資質など、毛について語るべきことは実に多い。たかだか200ページ前後の新書一冊にて毛沢東を語り尽くすことなど到底出来ないのであって、毛はそれほどまでにスケールの大きい理論的実践的政治家であったと私は思う。

だから「毛沢東伝」として、他のことは捨象して彼の生い立ちから近代中国史に登場し活躍するまでの伝記のみに集中して記述した「伝」の本新書の執筆選択には、なるほど納得がいく。しかしながら最後まで読み進めると、「毛沢東伝を書いてきて一九三七年の、中日戦の勃発のあたりで、一まず筆をおくこととした」(184ページ)とある。本書は「毛沢東伝」で伝記に集中させているにもかかわらず、1937年の中日戦争前夜までで、続く第二次国共合作や、第二次世界大戦終結後の国共内戦を経て中華人民共和国建国にて国民党を台湾に追いやった後の毛沢東の時代の詳細には触れていないのであった。そのため岩波新書「毛沢東伝」は評伝記述が中途半端に中断しており、伝記として不十分で不足の感は否(いな)めない。

ここで毛沢東その人について確認しておこう。

「毛沢東(1893─1976年)は中国共産党、中華人民共和国の最高指導者。湖南省出身。反軍閥運動・農民運動を行って頭角を現し、1921年、中国共産党の設立に参加した。31年創立された中華ソヴィト共和国臨時政府の主席になり、長征の途上の遵義会議で党内の主導権を握って抗日戦争・内戦を指導した。中華人民共和国の初代主席に就任して社会主義中国の建設を進めたが、1950年代末の大躍進政策に失敗して大きな犠牲を出したため、国家主席の地位を劉少奇に譲った。その後66年から文化大革命をおこし、劉少奇らを追放して実権を奪い返した。1976年9月に病死」

毛沢東に関し、あからさまに悪くいう人がいる。特に日本の国家主義や天皇論者で右派保守の人達だ。彼らにしてみれば「中国共産党最高指導者の毛沢東」は誠に憎むべき人物であった。日本の右派や保守の面々からして、まず「中国」が嫌いである。さらに「共産主義」も嫌悪している。そのため現代風にいえば「中国ヘイト本」のような毛沢東の個人攻撃の書籍、毛の「私生活」を暴露したり毛沢東主義の「政治的悪行」を糾弾したりする書物が日本国内で時に人気になったりするが正直、私は感心しない。

評伝・伝記は書き手の技術(テクニック)の筆一本で対象人物について、いくらでも賞賛肯定して良く書くこともできれば、逆にいくらでも中傷毀損で悪く描くこともできる。それは評伝や伝記の対象人物への歴史的評価が人により様々で未だ定まっていないことと見事に見合っている。歴史的悪行を為したとして世間一般に非難される例えばヒトラーやスターリンに関しても、世評のそうした否定的な一般評価に反発を感じて評伝にて技術であえてわざと逆の偉人伝の良人物に描こうと思えば、それはテクニックでいくらでも書ける。歴史記述とは実はそうした相対的なものだ。毛沢東に関しても同様だ。毛に関し、書き手が斟酌(しんしゃく)してあらかじめ良人物に書こうと操作すればそう書けるし、逆に最初から悪意を持って集中的に悪く描こうと工夫すればそうできる。そして、岩波新書の「毛沢東伝」は毛について比較的肯定的な立場から良く描いている。本書は毛沢東の生涯の出来事を書いて、便宜スノーやスメドレーやペインらの毛沢東関連書籍から引用解説する形で論述は進む。

岩波新書の青、貝塚茂樹「毛沢東伝」には幾つかの読みどころのポイントがあると思うが、それはそのまま実際の毛沢東の生涯の人生の節目に当たる重大転機であったといってよい。その中で私が昔から毛沢東に関し特に好きなのは、彼が組織した紅軍の規律「八項注意」だ。それは毛沢東の軍隊が規律厳正な革命的自覚を備えた紅軍であり、在来の軍閥とは異なり、「紅軍は人民の味方であること」に留意したものであった。本書では「16・紅軍の成立」での説明記述がそれに当たる。

「八項注意─話はおだやかに、買い物は公正な値段で、借りたものは返す、損壊したものは弁償する、人をなぐったり罵(ののし)ったりしない、作物の稲を痛めない、婦女子にたわむれない、捕虜を虐待しない」

毛沢東の「八項注意」の八ヵ条に関し、「紅軍にてこれら命令は実のところ遵守されていなかった」云々の倫理的糾弾で人道的見地から中国共産党批判を痛烈にやる人が時にいるが、そうした「八項注意」の拘束実効性が問題なのではない。規律法制に対する歴史的読み方は、その規律禁止事項の公的記述に接することを通して「当時の人々は、そういった反倫理的行為の禁忌(タブー)や違法行為を犯しがちであったこと」を再認識して時代を知る立体的で建設的な歴史の史料の読み方であるべきだ。

「なるほど、当時は中国の軍隊も日本の軍隊でも規律風紀の乱れで、市民から安い値段で不当に物資を買い叩いたり果ては力尽くで略奪したり、婦女子にたわむれたり、厳しく咎(とが)められ注意されるほどにやりがちであったのだな」と紅軍の「八項注意」を読んで、現代の私は深く感得する次第である。