アメジローの岩波新書の書評(集成)

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岩波新書の書評(422)阿波根昌鴻「米軍と農民」

岩波新書の青、阿波根昌鴻(あはごん・しょうこう)「米軍と農民」(1973年)は、私にはとても懐かしい書籍である。近年、本書は復刊されて容易に手に入り読めるが、昔は長い間、絶版品切れの入手困難でなかなか読めなかった。私が岩波新書の阿波根昌鴻「米軍と農民」を知ったのは2000年代初頭で当時、私は沖縄基地問題に関する主要な書籍を古いものから新しいものまで集中して読んでいて、そのとき本新書の存在を知ったのだが、昔は長い間の絶版で稀少本として「米軍と農民」は古書価格が相当に高騰していたし、またその時分、私が住んでいた近くの図書館に本新書はなかった。そこで「米軍と農民」を所蔵している遠方の図書館に出向き、しかし私はその公立図書館の地域住民ではなかったので館外貸し出しができず、知らない街の図書館の閲覧室で極めて短時間で一気に本書を読んだ。今となっては非常に懐かしい思い出だ。そうした個人的な思い入れがある、岩波新書の「米軍と農民」である。

岩波新書「米軍と農民」は、戦後における沖縄の伊江島のアメリカ軍日本駐留基地建設に対する島民の基地反対闘争ならびに反戦平和運動の歴史を、伊江島在住の阿波根昌鴻が記したものだ。伊江島は沖縄本島本部半島の北西に位置する島である。現在でも伊江村の村面積のおよそ35パーセントは、アメリカ海兵隊の伊江島補助飛行場が占めているという。

もともと戦時の1943年、伊江島に当時「東洋一」とされる規模の日本帝国陸軍の伊江島飛行場が建設されたことから、島はアメリカ軍の重要な攻撃目標とされ、伊江島の戦い(1945年4月)にて当島は日本軍と米軍との間での激戦地となった。当時の島の住民は集団自決に追い込まれるなど、兵士とともに非戦闘員を含む多くの民間人の犠牲者を出した。そうして1945年8月、日本の敗戦後、伊江島はアメリカ軍に占領され、島の北西部には在日米軍の伊江島補助飛行場が建設された。本書の著者である阿波根昌鴻は、1901年の沖縄の生まれ。後にキューバとペルーに移住し、1934年に沖縄へ帰村。その後、伊江島にて農業に従事するが1945年4月に島が激戦地となり、米軍に捕らえられた。終戦後の1947年にようやく伊江島の自分の土地に戻るも、島の⼟地の3分の2が⽶軍に強制接収されたことを受け以後、沖縄での反基地運動の先頭に立ち、アメリカ軍による⼟地強奪の不当性を訴える⽶軍強制⼟地接収に反対する反基地運動を主導した。なお阿波根昌鴻は2002年に亡くなっている。

戦後に本土に生まれ育った私は、沖縄の人達はなぜあそこまでアメリカ軍基地反対の反戦平和運動を力強く展開し、現実離れで理想主義的とも思えるほどにアメリカと日本の軍隊と両政府に抵抗し自分達の理念を貫こうとするのか、しばしば疑問に思うことがあった。もはや「反対のための反対なのでは」「抵抗することに意地になっているのでは」「皆が反戦平和の理想主義に心奪われすぎているのではないか」と時に思えたのだ。だが、後に沖縄基地問題に関する書籍を集中して読んで、私は沖縄の人々の心が少しだけ分かったような気がした。

戦前に普通に平和に穏(おだ)やかに暮らしていて、ある日、旧日本軍から強制的に土地接収され日本軍の飛行場ら軍事基地が建設されて、そのことからアジア・太平洋戦争の末期には沖縄がアメリカ軍の軍事標的にされ、島民は戦禍に巻き込まれ多くの住民が負傷・戦死し、時に旧日本軍から集団自決も暗に迫られて散々な目に会った(「米軍と農民」の著者・阿波根昌鴻も、一人息子を沖縄戦で亡くしている)。そして1945年の敗戦を迎えると、今度は戦勝国のアメリカ軍の軍事基地建設のために沖縄の多くの土地が米軍に強制的に接収されてしまう。かつて沖縄の人々に米国は敵国であり「鬼畜米英」と教えていた日本国は、戦後はアメリカとの軍事同盟国の立場から、米軍基地を受け入れるよう沖縄の日本復帰後も一貫して強硬に沖縄に迫る。しかもそれら米軍沖縄基地は、日本の自国防衛のためではなく、朝鮮戦争やベトナム戦争にての米軍の東アジア各地域へ出撃のために日本からする、アメリカへの軍事拠点の提供なのであった。

こうした戦前と戦後を連続しての日本とアメリカの軍隊ならびに両国政府に対する沖縄の不信の怒り、激戦と占領を経験し両国の政治権力にさんざん翻弄(ほんろう)されてきた沖縄の人々は、日本とアメリカの現実のいずれの政府や軍隊にも与(くみ)せず、おもねることなく、その両方を超える基地反対や反戦平和のある種の理想主義的な理念の高みに自らを昇華させる他なかった。沖縄基地問題に関する書籍を連続して読んで、そういった沖縄の過酷な現実、戦時から戦後へ沖縄の人々が置かれた厳しい立場を私は少しだけ理解し共感できたような気がしたのだ。

さて岩波新書「米軍と農民」の良さの読み所は、次の二つであると初読の時から私には強く思えた。

まずは著者の阿波根らが主導する伊江島の⽶軍強制⼟地接収に反対する反基地運動にて、実際に米軍側の代表者や現地の軍人と接し交渉する際、いたずらに敵対憎悪の喧嘩腰にはならず、「挨拶をする」など礼儀を尽くして人道的態度で表面上の形式的には穏やかに反対交渉する運動方針を彼らが貫いていることだ。その他、交渉の際には「耳より上に手を挙げない」「怒ったり悪口をいわない」「会談のときに必ず座る」「大きな声を出さずに静かに話す」「集合して米軍に応対するときに鎌(かま)や棒切れ、その他の武器を手に持たない」という自分達に課した取り決めもある。これには初読の際の昔から私は痛く感心した。「阿波根昌鴻は相当にできる人だ。この人は組織運動の闘争のやり方をよく分かっている」の感嘆の思いがしたのである。

反戦平和運動や政府へのデモ、住民運動や職場での労使間抗争の組合運動でも何でも、抗議して交渉して闘争する弱い組合組織の側は、いついかなる時でも大声や怒号や野次を発したり、相手の交渉者を睨みつけて威嚇(いかく)したり、感情的になって机を叩いたり物を投げたり器物を破損させたり、武器を持ったり相手の身体に直に触れたりしては絶対にいけない。組織運動には、その主張内容の正当性以前に、それを訴える際の適切で最良なやり方があるのだ。いくらこちらに正義の理がある正当な運動であっても、例えば大声で怒号や野次を発したり、感情的になって机を叩いたり物を投げて器物を破損させた時点で、その運動闘争は反社会的で非合理なものとされ実質、敗北してしまう。だから組織運動の闘争の際には、たとえ対立している憎き相手であっても、彼らに対し礼儀的で非暴力で、あくまでも表面上の形式的には「穏やかに」対決闘争するべきだ。

逆に私など、そうした組合の組織運動や個人的な家族・親族間での争いや近隣住民とのトラブルが仮にあった場合には、むしろ相手を暗に挑発し興奮させて、わざと怒鳴り声や暴言を相手に吐(は)かせて、それを密(ひそ)かに録音して後日に第三者同席の皆の前で音声公開したり、わざと相手に自分の身体を触れさせ押させて大げさにコケて転倒したりして、いよいよのときは暴行傷害で警察に被害届を出すと思う。その他、相手が勝手に興奮して物を壊せば、即に器物破損で訴えを出せる。現代では相手を軽く押したり胸ぐらを掴(つか)んで威圧しただけで、それは十分に「暴行傷害」の罪に該当する。全く怪我を負わせていないなどの力の加減以前に、交渉や闘争の際には、そもそもの相手の身体に直に触れること自体がいけないのであり、それは迂闊(うかつ)であるのだ。

岩波新書「米軍と農民」を執筆の阿波根昌鴻は、そういった組織闘争のやり方の海千山千な方法を熟知し、実際にそのように組織立てて運動指揮している。これは本書を読んで昔から「阿波根昌鴻は相当にできる人である。この人は組織運動の闘争のやり方をよく分かっている。阿波根は実に見事だ」と私は、ひたすら感心する他ないのである。

次に、伊江島の⽶軍強制⼟地接収に反対する反基地運動にて抗議したり反対するだけの運動の「受身からの脱却」をはかり、「人には頼れない、どうしても自分の力で理論を身につけなかればいけないと考え」て、1960年代から阿波根ら伊江島の人達は学習活動に力を入れるようになる。有志にて資金を集め島の「人材養成有志会」から、伊江島の青年を東京の学校に送り学ばせる。島の若者が東京の学校で哲学や政治や歴史の「理論」を学び、島に帰ってその理論知識を運動に積極的に生かすようにした。

阿波根昌鴻も、後に東京の学校に自身が入学して学んでいる。1966年、阿波根が東京の学校に入学して学んだ時、氏は60歳を過ぎていた。私は本書を初読の際、比較的若かったが、岩波新書「米軍と農民」を読んで「人は何歳になっても、いつからでもその気になれば学習できるのだ」ということを本書の阿波根から教えられ奮起させられた思い出がある。ここも本新書の読み所で昔から私が好きな所だ。「東京の学校で学び、教室の最前列に座って講義ノートを三十冊以上作った」という、この箇所の阿波根昌鴻による本書記述は氏の人柄が読み取れる非常に良い文章であると思うので以下、引用しておこう。

「わたし自身中央労働学院に入学しました。一九六六年のことであります。そこで学んだことは、わたしが長い間考えてきたこと、いくらかやってきたことが全部納得できた感じで、先生方の講義はわたしにはおもしろくて仕方がなかった。たとえていえばわしらには海そのものはよくわかるが、いままで海という字はわからなかった。それが海という字を教えてくれるのですからすぐわかる。…真謝(註─阿波根が土地所有の伊江島の地区名 )の農民が実際にやってきたことを理論で解明してくれたのですから全部わかりました。わたしはおもしろくておもしろくて、先生方の講義は三十一冊のノートに全部とりました。教室のいちばん前の席に坐って、先生が咳をしたら咳まで書くぐらいにノートをとったので、先生方の中には講義がやりにくいと煙たがっていた方もおったようであります」(「伊江島の学習活動」)

岩波新書の青、阿波根昌鴻「米軍と農民」は近年、復刊され、以前とは違って容易に入手して読めるようになった。後に改めてゆっくり読み返してみて、本書が沖縄でのアメリカ軍日本駐留基地建設に対する基地反対闘争ならびに反戦平和運動の文脈にて頻繁に言及され、よく紹介されるのも「なるほど、納得」の思いがする。岩波新書「米軍と農民」は確かに良書であり、名著だ。

「かつての激戦地沖縄県伊江島。⽶軍占領後は島の六割が爆撃・落下傘降下等の演習地として使⽤されてきた。肥沃な⼟地で農耕に⽣きるはずであった島の⼈々は、⼟地を取り上げられ、家を取り壊されて、⽌むなく⽶軍を相⼿どった必死の闘いに⽴ち上がった。本書は、農⺠の苦難に満ちた⽣き⽅と、彼らの⻑く粘り強い闘いの記録である」(表紙カバー裏解説)