アメジローの岩波新書の書評(集成)

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岩波新書の書評(36)河合隼雄「コンプレックス」

心理学者の河合隼雄(1928─2007年)に関しては、人並みに彼の著作を軽く読む程度で私はそんなに強く関心があるわけではないのだが、氏に対する印象は深い。昔、大学時代の知り合いの女友達が結構な河合隼雄ファンで、彼女は将来はカウンセラー志望で大学で心理学を学んでおり、彼女の部屋に行ったら、河合隼雄が心理学を専攻している女子大生らに囲まれて一緒に撮った写真があった。またそれを額に入れて丁寧にとても大切に飾ってあった。それで「河合隼雄は若い女子大生にモテて羨(うらや)ましいな」と当時、思った記憶がある(笑)。

私は心理学学界内部の学閥の事情など詳しく知らないが、河合隼雄は京都大学出身で後に京大で教鞭をとっていたので、関西にある大学の心理学系統学部には河合隼雄の弟子筋の人達が多くいて「河合学派」の学閥が、もしかしたらあるのかもしない。彼女は大阪の大学に在籍しており、臨床心理学で河合が広めた「箱庭療法」の話を私は彼女からよく聞いた。

2002年、河合隼雄は文化庁長官に就任して彼が道徳教育の副読本「心のノート」を編集し、全国の小・中学校に無償配布する。そのことに対する河合隼雄批判が当時は実に熾烈(しれつ)であり、私は青土社の月刊誌「現代思想」を定期購読していたので「心の教育批判」として斎藤貴男や小沢牧子らによる痛烈な河合隼雄批判の寄稿論文を、その頃よく読んでいた。斎藤らによる「心の教育批判」の概要は以下のようなことであった。

まず「心のノート」副読教材の配布に象徴される「心の教育」そのものが、まさに「子どもの心」の精神、人間の心的内面の価値意識にまで国家が「公教育」の名目でどんどん侵食し介入してくる道徳教育であり、しかもその道徳教授の内容が一見、誰も反論できない倫理的「正しさ」をもって個人の内面にまで果てしなく介入してくるので、それが戦前の「修身教育の復活」に繋(つな)がる問題を有している。この批判は、教育勅語を踏まえた修身教科に象徴される戦前の国家による思想教育の万能さに警戒し、公教育の及ぶ範囲をめぐり国家の教育権に限界を付する、公教育を個人の私的自律的な心の内面にまで入り込ませてはいけないとする主張に支えられていた。

次に「心の教育」の内容そのものが、命の尊さ、思いやり、感謝の心、公正・公平、公共心、挨拶・礼儀正しさなど、道徳徳目の遵守を上から押しつけるものばかりに偏し、部落差別、民族差別、環境破壊、貧困格差、戦争など、市民同士の横の連帯や社会や国家の矛盾に目を向けて解決に取り組む姿勢が「心のノート」には皆無である。自由や平等の個人の普遍的権利の行使の大切さに全く触れていない。常に上からの一般的な徳目の励行ばかりを子どもに強(し)いる。社会や国家に対する批判的精神を育てることを学校教育から排除しようとする。結果「心の教育」が巧妙な体制維持のイデオロギーになっている。

加えて、道徳遵守の由来・理由が日本人の民族性や日本の国家の歴史の伝統と、新自由主義(ネオリベラリズム)下の個人の功利との両極から説明づけられる構造なため、「愛国心」や「公共心」の涵養(かんよう)といった国家や地域社会への個人の献身・動員を促す従来型の道徳教育のみならず、挨拶やコミュニケーションの大切さ(挨拶は相手への印象を良くする、コミュニケーション能力は相手とスムーズに交渉を進めるために不可欠など、自由競争の社会にて個人が生き残れるための功利の指南)、公正・公平さの社会ルール遵守の強調(自己責任の新自由主義社会にて脱落した個人が社会を恨んで暴発しないよう秩序維持のための安全弁)といった、新自由主義体制の維持・促進を前提にした上での個人の「自己生存マネジメント」を暗に説く新たな道徳教育の側面も「心の教育」は兼備している。

その他、「心のノート」の教材書き入れ形式が、解決のない道徳問題を議論して子どもが互いに内容を深め合う自律的な問題解決型というよりは思考停止で、あらかじめ大人の設定した道徳徳目履行への誘導を促す周到な編集記述になっている。

「本当の私」探しなど、「心のノート」の内容に俗っぽい自己啓発やスピリチュアル心理学の要素が入っている。

「心の教育」を文化庁長官の公的立場から推進する河合隼雄が、「スクールカウンセラー売り込み」といったカウンセラーの各学校への派遣や常駐を熱心に進めるという、自身が属する臨床心理業界の利権と露骨に結びついている。

そもそも臨床心理士の養成により、カウンセリングが特定訓練を受けて専門スキルを得た者のみができる資格制度下の専門仕事となってしまうのはいびつであり(なぜなら昔の社会では専門スキルを持った心理カウンセラーなどいなくても、友達や親や一般の教師、親戚や地域の大人が子どもの心の悩みを適時無償で聞いていたので)、カウンセラー専門職種化は、人間の内面の心の領域にまで入り込んで積極的に商売する、いわゆる「心の商品化」「心の市場化」への道を開くの批判などである。

思えば、河合隼雄という人は心理学者としては優秀だったかもしないが、心理学の自身の専門分野以外のことに関しては全く無知で駄目な人だった。もともと道徳の正式科目化、道徳教育の学校現場への定着は、保守政党の自民党政権下にて実現させたかったが長年、叶(かな)えられずにいた念願の政策であり、前述のように政府による道徳教育推進を戦前の「修身教育の復活」と危惧して反対する現場教師や保護者やマスコミ世論の根強い警戒・批判が、日本の戦後社会に一貫してあった。それで道徳の教科書や副読本の公的教材作成は、それを作成配布して道徳の正式科目化の既成事実を作りたい政府や文部科学省の道徳教育推進派と、それだけは絶対に阻止したい現場教師や保護者やマスコミの道徳教育反対派の対立攻防の一つの焦点として昔からあったのだった。

ところが、周知なように1997年の神戸連続児童殺傷事件を背景に「子どもらに命の尊さを教える道徳教育の必要性」と称して、時の自民党政府と文部科学省が「心のノート」の道徳副読本の作成配布に遂に踏み切る。そして道徳教材の全国の小・中学校への一律配布の持つ意味、つまりは道徳正式科目化への強力な布石の背景を(おそらくは)ほとんど考えることなく当時、文化庁長官であった河合隼雄は進んで「火中の栗を拾」って「心のノート」編集を引き受けてしまう。

河合隼雄は、彼の講演録を読んでもダジャレの連発や軽妙な話しぶりで面白いし、対談集を読んでみても河合の人好きのする人当たりのよさの好印象は彼の著作を通して存分に感じられる。河合は「心のノート」編集も彼なりに子どもたちのことを考えてやっていたと思うし、また「スクールカウンセラー売り込み」も、臨床心理学業界全体の発展や自分の弟子筋と教え子たちの仕事確保のために良かれと思い主観的善意から一生懸命にやっていたはずだ。したがって、斎藤貴男や小沢牧子の「心のノート」に対する執拗な河合隼雄批判も、そもそも戦後の国家と学校現場との道徳教育を巡る長い因縁の攻防についての問題意識が希薄だった当の河合本人からしてみれば、なんのことやら訳が分からず「単なる嫌がらせ」と感じられたに違いない。

河合隼雄という人は心理学者としては優秀だったかもしれないが、自身の専門分野の心理学以外のことに関しては知識人として全くの無知で駄目な人であった。

ここに至って、河合は「留学して西洋文化の合理主義に違和を感じ、日本的環境や日本人的心性に配慮した心理療法の工夫といった日本文化に根ざした心理療法の模索を通じて、自分の日本人としてのアイデンティティや日本の伝統文化について深く考えるようになった」とする立場から自身が留学して学んだユング心理学の理論を活用して独自の日本文化論を展開させているが、「自分が少年時代に学び育った戦前・戦中の日本の軍国主義の風潮を嫌悪している」旨を河合が至る所で述べながらも、これまで書いたような河合編集の「心のノート」の内実、彼の「心の教育」の体制イデオロギー的な問題点を見るにつけ、河合隼雄の日本文化論が紆余曲折の細かな議論を経ながら結局のところ実質的に保守や右派や国家主義者が日々書いて量産しているような、日本人の精神性や日本の歴史や伝統を肯定し日本礼賛にのみ終始する日本文化論になっていないかどうか再度、慎重に見極める必要はあるだろう。

岩波新書の青、河合隼雄「コンプレックス」(1971年)は間違いなく河合の代表作の一つである。分析心理学でのユングの理論が、臨床心理学での実際の臨床現場の治療の実体験を患者の実例ケースと共に豊富に挙げて述べられている。普段からの河合の講演や対談でのこなれた話ぶり同様、実に「書き慣れている感」があり、本新書の読後感は大変によい。