アメジローの岩波新書の書評(集成)

岩波新書の書評が中心の教養読書ブログです。

岩波新書の書評(440)菅直人「大臣」

現職の国会議員が、自身が取り組む目下の政策や自己の政治観や国家観を人々に広く知らしめるために、党代表の重職に就いたり、総理大臣に就任して内閣を組閣する際の節目に自著を上梓することはよくある。その事例として、古くは小沢一郎「日本改造計画」(1…

岩波新書の書評(439)ロワン=ロビンソン「核の冬」

岩波新書の黄、ロワン=ロビンソン「核の冬」(1985年)のタイトルになっている「核の冬」とは、核戦争によって地球上に大規模環境変動が起き、人為的に極度の気温低下の氷期が発生するという現象を指す。核戦争による「核の冬」現象は、核兵器の使用にとも…

岩波新書の書評(438)金田章裕「景観からよむ日本の歴史」

私はテレビといえば、せいぜいニュースと天気予報を毎日、軽く見る程度なのだが最近、面白くてよく視聴している番組があった。NHKの「ブラタモリ」(2008─24年 )である。この番組は、歴史地理的な地形や景観に特化した散策ロケ番組で、開墾・干拓事業や街道…

岩波新書の書評(437)広岡達朗「意識改革のすすめ」 野村克也「野村ノート」

(今回は岩波新書ではない、広岡達朗「意識改革のすすめ」、野村克也「野村ノート」についての文章を「岩波新書の書評」ブログではあるが、例外的に載せます。念のため、広岡「意識改革のすすめ」と野村「野村ノート」は岩波新書ではありません。) 「名将」…

岩波新書の書評(436)細谷史代「シベリア抑留とは何だったのか 詩人・石原吉郎のみちのり」

私は前からずっとやってみたくて昔、一回だけやったことがある。寿司屋に入り大トロを食べビールを飲みながら、詩人でありシベリア抑留帰還者であった石原吉郎の「望郷と海」(1972年)を読み返してみたかったのだ。誠に不遜(ふそん)で、亡くなった石原本…

岩波新書の書評(435)廣瀬健二「少年法入門」

私は法学部出身ではないし、法律をそこまで専門的に学んだことはないので、日本における主要な6つの法律である「六法」のうちの刑法(犯罪に対する刑罰を定めた法律)と刑事訴訟法(刑事手続について定めた法律)に関し、それほど詳しく知っているわけでは…

岩波新書の書評(434)今野真二「『広辞苑』をよむ」

「広辞苑(こうじえん)」は、日本語国語辞典である。もともとは戦前昭和より言語学者の新村出(しんむら・いずる)が国語辞典の執筆をやっていて、当初は博文館という出版社から「辞苑(じえん)」という書名の辞書を出していたが、戦後に今後の日本語文化…

岩波新書の書評(433)兼子仁「国民の教育権」

岩波新書の青、兼子仁「国民の教育権」(1971年)は、日本国憲法や教育基本法ら法的理念から、現実の教育をめぐる理念浸透具合の不足ならびに明らかに間違った方向への反動誘導の弊害を実際の学校現場の問題や教育「改革」の政治の誤りとして指摘していく、…

岩波新書の書評(432)田中美知太郎「ソクラテス」

前から私は、岩波新書の田中美知太郎「ソクラテス」(1957年)、同岩波新書の斎藤忍随「プラトン」(1972年)、同岩波新書の山本光雄「アリストテレス」(1977年)の三冊を自室の書棚に並べ折に触れて眺めたり、各新書を日々読み返しては悦(えつ)に入り満…

岩波新書の書評(431)藤谷俊雄「『おかげまいり』と『ええじゃないか』」

岩波新書の青、藤谷俊雄「『おかげまいり』と『ええじゃないか』」(1968年)は、そのタイトルからして「おかげまいり」と「ええじゃないか」が等価の同量で等しく論じられているように思えるけれど、実はそうでない。本書では主に「おかげまいり」について…

岩波新書の書評(430)中村邦生「はじめての文学講義」

岩波ジュニア新書の中村邦生「はじめての文学講義」(2015年)は、渋谷教育学園渋谷中学高等学校にて(私は本新書を読むまで知らなかったが、本校は中学受験の世界では「渋渋」と略称され、都内の中高一貫校の中では有数の入学難関校であるという)、作家で…

岩波新書の書評(429)今井むつみ「英語独習法」

岩波新書の赤、今井むつみ「英語独習法」(2020年)だけを読むと気付かないかもしれないが、本新書は今井の旧著、同じ岩波新書の「ことばと思考」(2010年)と「学びとは何か」(2016年)の続編となっている。すなわち、「ことばと思考」と「学びとは何か」…

岩波新書の書評(428)渡辺金一「中世ローマ帝国」

中世ヨーロッパ史専攻で、なかでも東ローマ帝国(ビザンツ帝国)に関する多くの論文や書籍や訳書を著している渡辺金一の岩波新書は、「中世ローマ帝国」(1980年)と「コンスタンティノープル千年」(1985年)の二冊がある。後出の「コンスタンティノープル…

岩波新書の書評(427)佐高信「戦後を読む 50冊のフィクション」

評論家でありジャーナリストである佐高信に関しては、廃刊になって今ではもうないが、以前にあった雑誌「噂の眞相」での佐高の連載「タレント文化人筆刀両断!」など私はよく読んでいた。私は10代の頃から岡留安則が編集発行の「噂の眞相」を定期的に読んで…

岩波新書の書評(426)沢崎坦「馬は語る」

昔に旅行中、家から持ってきた書籍を旅の中途で全て読み尽くしてしまって、移動中や滞在先にて読む本が弾切れになり、旅先の現地で新しく読む本を仕入れようと思って、とある街の古書店に入った。もちろん、一見(いちげん)の知らない書店である。そのとき…

岩波新書の書評(425)鈴木大拙「禅と日本文化」

岩波新書の赤、鈴木大拙「禅と日本文化」(1940年)は戦中発行の旧赤版の岩波新書で、同時代の斎藤茂吉「万葉秀歌」上下巻(1938年)と共に戦前の岩波新書の中で当時は相当に売れて広く読まれたらしい。鈴木大拙「禅と日本文化」と斎藤茂吉「万葉秀歌」は、…

岩波新書の書評(424)南博「日本的自我」

ある民族や国民について、その人々の集団の最大公約数的な共通性格や一般傾向を指摘して論ずる「××人論」という評論分野が昔からある。例えば「歴史があるイギリスの英国人は礼儀正しく、伝統を重んじて保守的である」とか、「ドイツの人はゲルマン民族の森…

岩波新書の書評(423)平松守彦「地方からの発想」

岩波新書の赤、平松守彦「地方からの発想」(1990年)は元大分県知事の平松守彦が知事在任中に著した書籍である。私は大分県出身の現在大分市在住なのだが、平松守彦が県知事退任の後、大分市中心街の老舗(しにせ)百貨店で私用で買い物している姿を一時期…

岩波新書の書評(422)阿波根昌鴻「米軍と農民」

岩波新書の青、阿波根昌鴻(あはごん・しょうこう)「米軍と農民」(1973年)は、私にはとても懐かしい書籍である。近年、本書は復刊されて容易に手に入り読めるが、昔は長い間、絶版品切れの入手困難でなかなか読めなかった。私が岩波新書の阿波根昌鴻「米…

岩波新書の書評(421)マイケル・ローゼン「尊厳」

岩波新書の赤、マイケル・ローゼン「尊厳」(2021年)の表紙カバー裏解説は次のようになっている。「 『尊厳』は⼈権⾔説の中⼼にある哲学的な難問だ。概念分析の導⼊として⻄洋古典の歴史に分け⼊り、カント哲学やカトリック思想などの規範的な考察の中に、…

岩波新書の書評(420)吉田裕「アジア・太平洋戦争」(その2)

(前回からの続き)まずは太平洋戦争の日米開戦に至るまでの過程を以下の簡略な年表にて確認しておこう。1931年9月・柳条湖事件、満州事変(1931─33年) 1932年3月・満州国建国宣言 1933年3月・日本が国際連盟脱退を通告(※ドイツの国連脱退は1933年10月、イ…

岩波新書の書評(419)吉田裕「アジア・太平洋戦争」(その1)

最近、気になるのは、日本近代史に関し政治的・人道的な日本の問題には、それを「アメリカや中国らによる日本を不当におとしめる謀略の陰謀」と解釈して自国の日本の問題責任をどこまでも回避し、他方で歴史的に日本の国や日本人が優れていた点は過大に評価…

岩波新書の書評(418)土門拳「筑豊のこどもたち」「るみえちゃんはお父さんが死んだ」(その2)

(前回からの続き)土門拳「筑豊のこどもたち」(1960年)には続編がある。「母のない姉妹」で筑豊の井之浦炭鉱で父親と妹さゆりちゃんと三人で暮らしていた、るみえちゃんのその後の写真である。タイトルは「るみえちゃんはお父さんが死んだ」(1960年)。…

岩波新書の書評(417)土門拳「筑豊のこどもたち」(その1)

(今回から2回に渡り、写真家・土門拳の写真集「筑豊のこどもたち」についての文章を「岩波新書の書評」ブログですが、例外的に載せます。念のため、土門拳「筑豊のこどもたち」は岩波新書ではありません。)土門拳「筑豊のこどもたち」(1960年)は、福岡…

岩波新書の書評(416)石井公成「東アジア仏教史」

紀元前四世紀から五世紀頃、インドにてガウタマ=シッダルタ(ブッダ、仏陀)が開いた仏教は、後にアショーカ王の保護を受けて発展し、アジアの各地に広がったが、前一世紀から二世紀にかけて中国・朝鮮・日本に伝わった、いわゆる「北伝仏教」は、ガウタマ…

岩波新書の書評(415)都出比呂志「古代国家はいつ成立したか」

岩波新書の赤、都出比呂志「古代国家はいつ成立したか」(2011年)は時折、定期的に読み返してみて「専門の研究者による一般読者へ向けての日本古代史研究に関する非常にサーヴィス精神に満ちた親切な語り下ろしの読み物」といった好感の思いが毎度、私はす…

岩波新書の書評(414)ジョン・ガンサー「死よ 驕るなかれ」

岩波新書の青、ジョン・ガンサー「死よ驕(おご)るなかれ」(1950年)は、アメリカのジャーナリストでノンフィクションライターでもあるジョン・ガンサーが記した、若くして10代で脳腫瘍で亡くなった息子、ジョニー・ガンサー(1929─47年)の追想録である。…

岩波新書の書評(413)小林秀雄「無常という事」(その3)

前回で要約の要旨をまとめ、一応終わった感のある小林秀雄「無常という事」について、今回は前回に出した「無常という事」の要旨を踏まえ、小林秀雄の「無常という事」が発表された当時の時代状況にて果たしたであろう、あの作品の政治的役割について考えて…

岩波新書の書評(412)小林秀雄「無常という事」(その2)

前回からの続きで、小林秀雄「無常という事」の読み解きをやっている。今回は最終段落を読み切って、いよいよ読解を完成させよう。「上手に思い出す事は非常に難しい。だが、それが、過去から未来に向かって飴の様に延びた時間という蒼ざめた思想(僕にはそ…

岩波新書の書評(411)小林秀雄「無常という事」(その1)

(今回から3回連続で岩波新書ではない、小林秀雄「無常という事」について書いた読み解きの文章を例外的に「岩波新書の書評」ブログに載せます。念のため、小林秀雄「無常という事」は岩波新書には入っていません)小林秀雄「無常という事」(1942年)に関…