アメジローの岩波新書の書評(集成)

岩波新書の書評が中心の教養読書ブログです。

哲学・思想・心理

岩波新書の書評(55)熊野純彦「和辻哲郎」

熊野純彦に関して良くも悪くも、いつも気になるのは彼の感傷的(ロマンティック)過ぎる甘い語り口だ。これは語り口の問題だから著述内容の正誤や妥当性、考察の深さに直接に関わりなく、確かに外的で形式的な読み手に与える印象の問題であるだけなのかもし…

岩波新書の書評(52)浅野順一「ヨブ記」

「旧約聖書」にある「ヨブ記」は、富裕な家長であり、信仰にあつい「義人」(堅く神の義を守る人)であるヨブが一朝にして全財産を失い幸福な家庭を破壊され、自らは悪性の病に苦しむ実に不条理な話だ。自分の責任でないのにもかかわらず、なぜヨブはそのよ…

岩波新書の書評(41)丸山眞男「日本の思想」

岩波新書の青、丸山眞男「日本の思想」(1961年)は、おそらく丸山の著作の中で一番よく読まれているのではないか。丸山眞男の代表作は決して「日本の思想」ではないと私は思うが、「日本の思想」は新書で廉価であり未だ絶版でなく現在でも入手しやすいし、…

岩波新書の書評(39)竹田青嗣「哲学ってなんだ」

岩波ジュニア新書の竹田青嗣「哲学ってなんだ」(2002年)は、副題が「自分と社会を知る」であり、岩波ジュニアで若い読者向けのため分かりやすく平易に「哲学とは何か」を論じている。例えば哲学の「方法」について、次の3つを指摘する。(1)物語を使わず「…

岩波新書の書評(37)清水正徳「働くことの意味」

岩波新書の黄、清水正徳「働くことの意味」(1982年)の概要は以下だ。「古来、人びとは労働をただ『生活のための労苦』とだけ考えてきたわけではない。自然や超越者とのかかわりで、さまざまに意味づけて働いてきた。本書は、主要な労働観の系譜をたどり、…

岩波新書の書評(36)河合隼雄「コンプレックス」

心理学者の河合隼雄(1928─2007年)に関しては、人並みに彼の著作を軽く読む程度で私はそんなに強く関心があるわけではないのだが、氏に対する印象は深い。昔、大学時代の知り合いの女友達が結構な河合隼雄ファンで、彼女は将来はカウンセラー志望で大学で心…

岩波新書の書評(33)御子柴善之「自分で考える勇気 カント哲学入門」

岩波ジュニア新書、御子柴善之「自分で考える勇気・カント哲学入門」(2015年)は、全体に難解とされるカント哲学に対する親切丁寧な分かりやすい解説書であり、その副題通り「カント哲学入門」として若い読者に向けての最適な良著だ。 「人は誰しも幸福にな…

岩波新書の書評(32)三木清「哲学入門」

岩波新書の赤、三木清「哲学入門」(1940年)は「入門」のタイトルがついてはいるが、題名をそのまま信じて初学の方が「哲学入門」として読むと確実に大怪我をする新書本である。初学者向けの「哲学入門」とするには、余りにも内容にクセがあり過ぎる。著者…

岩波新書の書評(31)渡辺照宏「日本の仏教」

仏教概説の古典であるベック「仏教」(1928年)の日本語訳をしているインド哲学と仏教研究専攻の渡辺照宏(わたなべ・しょうこう)には、岩波新書「仏教三部作」ともいうべき一連の仕事がある。すなわち「仏教」(1956年)と「日本の仏教」(1958年)と「お…

岩波新書の書評(30)渡辺照宏「仏教」

日本仏教史の書籍を読んでいると、日本仏教成立以前に中国・朝鮮経由で日本に伝来し根付いたインドからの外来思想たる仏教、そのインド仏教の原型はどのようなものであったか知りたくなる。紀元前にガウタマ=シッダールタが開祖の仏教とは、どういったもの…

岩波新書の書評(26)大内兵衛「マルクス・エンゲルス小伝」

岩波新書の青、大内兵衛「マルクス・エンゲルス小伝」(1964年)は、著者の大内が「マルクスとエンゲルスに対し、どれだけ惚’(ほ)れ込んでいるか」、そして「惚れてこそ分かるマルクスとエンゲルスの良さを読み手に伝える自身の役割にどれだけ自覚的である…

岩波新書の書評(25)相良守次「記憶とは何か」 高木貞敬「記憶のメカニズム」(その2)

「記憶力を強くするにはどうすればよいか」。前回と同様、昔の岩波新書の青、相良守次「記憶とは何か」(1950年)と高木貞敬「記憶のメカニズム」(1976年)を参考に便宜、私の経験も交えながら以下、「記憶力を強くするヒント集」的に有効と思われるものを…

岩波新書の書評(24)相良守次「記憶とは何か」 高木貞敬「記憶のメカニズム」(その1)

現代の私達の記憶力向上についての関心と熱意は実に凄まじいものがあり、それは学生ならテスト対策や受験勉強、社会人でも資格試験や商談ビジネスにて日常的に記憶力を試される機会が多く、皆が潜在的に「もっとたくさんスムーズに物事を正確に記憶でき、し…

岩波新書の書評(23)大庭健「善と悪」

岩波新書の赤、大庭健「善と悪」(2006年)の副題は「倫理学への招待」で、本書の概要は以下である。「道徳的にみて『善い』『悪い』という判断には、客観的な根拠はあるのか。『赤い』『青い』などの知覚的判断や、『酸性』『アルカリ性』などの科学的判断…

岩波新書の書評(14)久野収 鶴見俊輔「現代日本の思想」

岩波新書の青、久野収・鶴見俊輔「現代日本の思想」(1956年)は、副題に「その五つの渦」とあるように、日本の思想の集団やグループ、思想流派系統から主に五つのものを取り上げ、それぞれの思想について出自の時代状況や思想の担い手、思想そのものの良さ…

岩波新書の書評(13)花崎皋平「生きる場の哲学」

本を読む意図からして、内容重視で書かれている論旨や論述展開や細かな情報そのものに関心の価値がある場合もあるが案外、内容などどうでもよくて著者の人柄に魅せられ、その本の書かれていること全般に心惹(こころひ)かれる場合もある。また、そういった…

岩波新書の書評(10)岩田靖夫「ヨーロッパ思想入門」

岩波ジュニア新書の岩田靖夫「ヨーロッパ思想入門」(2003年)は「ヨーロッパ思想」について、かなり思いきった原理的構成の単純化をやっている。そして、それが見事にはまっている。「ヨーロッパ思想は二つの礎の上に立っている。ギリシアの思想とヘブライ…

岩波新書の書評(9)荒井献「イエスとその時代」

イエスの十字架の最期の死の意味とは如何(いかん)。 イエスを殺したのは、ローマ・ユダヤの政治権力とユダヤ教の神殿司祭の勢力であった。ここにあるのは政治権力と宗教権威とが癒着し、宗教が体制維持のイデオロギー機能を果たし政教一体で特権を有して利…

岩波新書の書評(5)大江健三郎「沖縄ノート」

岩波新書の青、大江健三郎「沖縄ノート」(1970年)と「ヒロシマ・ノート」(1965年)は二冊でセットの新書だ。必ず二冊読んで、それらに共通して貫いているエッセンスを読み取らなければ実は「読んだことにはならない書籍」である。これら書籍は個別に一冊…

岩波新書の書評(4)ウルフ「どうしたら幸福になれるか」(その2)

岩波新書の青、ウルフ「どうしたら幸福になれるか」上下(1960、1961年)に絡(から)み、前回は「幸福論」というジャンルの読み物が成り立つ基盤そのものをまずは疑うところから始めた。つまりは、そもそも幸福論における「幸福」というのは規範ではなくて…

岩波新書の書評(3)ウルフ「どうしたら幸福になれるか」(その1)

ウルフ「どうしたら幸福になれるか」上下(1960、1961年)は、岩波新書の昔の青版である。いわゆる「幸福論」「人生論」に属する類(たぐ)いのものだ。先日も、ある芸能人がアランの「幸福論」(1925年)を挙げて「私の人生を変えたおすすめの一冊」と言っ…