アメジローの岩波新書の書評(集成)

岩波新書の書評が中心の教養読書ブログです。

哲学・思想・心理

岩波新書の書評(155)高桑純夫「人間の自由について」

岩波新書の青、高桑純夫「人間の自由について」(1949年)は、本新書の表紙をよく見ると青地カラー上にあるタイトル表記「人間の自由について」にて、「人間」と「自由」の文字だけ微妙に太く濃いポイント印字になっている。「人間」と「自由」の二語こそが…

岩波新書の書評(145)稲垣真美「仏陀を背負いて街頭へ」

岩波新書の青、稲垣真美「仏陀を背負いて街頭へ」(1974年)は、まず題名がよいと思う。よくよく味わって読んで「仏陀を背負いて街頭へ」の名タイトルである。本書の副題は「妹尾義郎と新興仏教青年同盟」である。著者の稲垣真美は、同じく岩波新書にて「兵…

岩波新書の書評(143)森本あんり「異端の時代」

岩波新書の赤、森本あんり「異端の時代」(2018年)は岩波新書の中でも近年まれに見る力作だ。まず本書は、ある思想の概要やその思想が状況の中で果たした役割以外にも、「思想が思想として成立するとはどういうことなのか」思想成立の条件を「正統と異端」…

岩波新書の書評(142)大内兵衛「私の読書法」

岩波新書の青、大内兵衛他「私の読書法」(1960年)は、岩波書店が出している月刊誌「図書」にての連載「私の読書法」が当時ちょうど連載二十回の節目を迎えた契機に出そろった二十人による「私の読書法」二十篇を再録の形で一冊の新書にまとめたものだ。本…

岩波新書の書評(136)小泉信三「読書論」

昔から親や教師や先輩や上司は、若い人に対し「本を読め!読書をしろ!」などと事あるごとに頻繁に言うが、当の若い人にしてみれば何を読んでどう読書をすればよいか分からない。そういったわけで「読書論」という書籍の分野が昔から伝統的にある。例えば、…

岩波新書の書評(129)岡田温司「黙示録」

岩波新書の赤、岡田温司「黙示録・イメージの源泉」(2014年)の概要は以下だ。「繰り返される数字の『七』、竜との戦い、聖女と大淫婦、禍々(まがまが)しくも強烈に惹(ひ)きつける謎めいた表象に溢(あふ)れ返るテクスト『黙示録』。古代から現代に至…

岩波新書の書評(125)熊野純彦「西洋哲学史」

古代から近現代まで書き抜く全時代の哲学史概説は、通常は数人で分筆してやる。特に現代にて、もう生粋(きっすい)の「哲学者」などどこにも存在しないのだから、みな大学の文学部哲学科あたりに入学して必ず時代専攻と研究対象の過去の哲学者ないしは学派…

岩波新書の書評(124)山折哲雄「『教行信証』を読む」

親鸞評伝や研究に対し、私は論者の名前を頭に置いて「××親鸞」という呼び方をしている。例えば「親鸞」(2010年)にて鎌倉時代の相次ぐ戦乱や疫病や天災で荒廃した末法の世を、同様に自然災害や不景気で先の見通しが立たない今の混迷不安の時代に重ね合わせ…

岩波新書の書評(121)大貫隆「聖書の読み方」

私は洗礼を受けたり教会に定期的に通ったりするキリスト者ではないのだが、それでも聖書は好きで昔から繰り返し読んでいた。また、より深く聖書を読んで味わいたいから「聖書入門」や「聖書講話」の解説書籍もよく読む。先日も岩波新書の赤、大貫隆「聖書の…

岩波新書の書評(117)浅野順一「モーセ」

旧約聖書学者の浅野順一の書籍は面白い。氏による岩波新書ならば「ヨブ記」(1968年)や「詩篇」(1972年)だ。概してキリスト者の聖書学者の方は親切である。「聖書入門」や「聖書講話」の書籍にて当方が、あらかじめ聖書を全く読んでいなくても聖書記事の…

岩波新書の書評(116)大澤真幸「不可能性の時代」

社会学者の大澤真幸(おおさわ・まさち)が展開する社会学を「大澤社会学」というらしい。私が氏の著作を知ったのは、大学入試センター試験・現代文の過去問を大学卒業後に一時期、遊びで解いていたことがあって、その時に初めて大澤真幸の文章を読んだ。201…

岩波新書の書評(111)木田元「ハイデガーの思想」

ドイツの哲学者、ハイデッガーに関しては岩波新書の赤、木田元「ハイデガーの思想」(1993年)を始めとして「入門」や彼の主著「存在と時間」(1927年)の「精読解説」の書籍が実に多く、やたら出ている。「ハイデッガーは難解である。しかしハイデッガーを…

岩波新書の書評(108)廣松渉「新哲学入門」

本来、マルクス主義の思想に階層上下の序列の観念があってはならないのだが、しかし現実のマルクス主義者には確実に階層上下の序列がある。一番高級で上等なのはマルクス主義の哲学者である。なぜなら「マルクス主義」云々の文言を差し引いても、哲学そのも…

岩波新書の書評(105)渡辺慧「生命と自由」

渡辺慧(わたなべ ・さとし)の岩波新書には「認識とパタン」(1978年)などがあり、その他にも他出版から出ている認識論を始め時間論や生命論の名著が多数あるが、「渡辺慧の一冊」といえば、岩波新書の黄「生命と自由」(1980年)が私は昔から好きだ。これ…

岩波新書の書評(103)宮城音弥「天才」

岩波新書の青、宮城音弥「天才」(1967年)の帯には次のようにある。 「世に天才といわれる人物は多い。ミケランジェロ、ゲーテ、モーツァルト、ベートーベン…。人間の長い歴史の中で、彼らは社会の発展や文化の創造にさまざまな貢献をしてきた。いったい彼…

岩波新書の書評(102)丸山眞男「『文明論之概略』を読む」

岩波新書の黄、丸山眞男「『文明論之概略』を読む」全三巻(1986年)は、古典観賞の手引きのような講義録の新書だ。「現代の私達が古典をどう読んで古典から何を学び、現在にどのように生かすか」その要訣を教えてくれる。 本書は大学ゼミの講読講義の体裁で…

岩波新書の書評(100)羽仁五郎「ミケルアンヂェロ」

岩波新書の全時代の全種別、「オールタイムのオールジャンル」での私のベストを選ぶとすれば、旧赤版の羽仁五郎「ミケルアンヂェロ」(1939年)は上位ベスト5に必ず入る。それほどの名著だと私は思う。羽仁五郎「ミケルアンヂェロ」は、まずは書き出しが良…

岩波新書の書評(97)桑原武夫「一日一言」

岩波新書の青、桑原武夫「一日一言」(1956年)は、普通に読む新書とは少し趣向の変わった面白い本だ。全ページが1年365日の日付に分割されており、1月1日から12月31日まで1日ごとに「一日一言」の古今東西、世界の偉人の名言が掲載されてある。 「一日一…

岩波新書の書評(87)内田義彦「資本論の世界」

スミスを始めとしてマルサス、リカードらの古典派経済学とマルクスの近代経済学と、河上肇の日本経済思想史の研究で知られる、内田義彦の岩波新書の著作は「資本論の世界」(1966年)と「社会認識の歩み」(1971年)と「読書と社会科学」(1985年)であり、…

岩波新書の書評(86)中村元「ブッダ物語」

中村元は偉大だ。インド哲学専攻であり仏教学者でもある氏は、いったい生前にどれほどの書籍を上梓しているのだろうか。中村元の著作は異常に多いのである。この人は、「佛教語大事典」の事典の類いを単独で一人きりで長年かけて書き切るような破天荒な人だ…

岩波新書の書評(84)柄谷行人「世界共和国へ」

柄谷行人「世界共和国へ」(2006年)は、岩波新書の新赤版1001点目にあたる節目の新装赤版で、夏目漱石やマルクスや「歴史の反復」や日本国憲法を様々に論じてきた著者のカントに関する仕事であり、「トランスクリティーク・カントとマルクス」(2001年)を…

岩波新書の書評(83)丸山眞男「戦前における日本の右翼運動」

(今回は岩波新書に収録されていない、丸山眞男「戦前における日本の右翼運動」についての文章を「岩波新書の書評」ブログではあるが、例外的に載せます。念のため、丸山「戦前における日本の右翼運動」論文は岩波新書には入っていません。本論文は丸山「増…

岩波新書の書評(82)多木浩二「天皇の肖像」

岩波新書の赤、多木浩二「天皇の肖像」(1988年)は、後に増補され岩波現代文庫から再刊されている。再刊された「増補版・天皇の肖像」(2002年)の表紙カバー裏解説には次のようにある。「明治維新後の近代国家体制確立に向けて、天皇をどう見せるかという…

岩波新書の書評(81)藤沢令夫「ギリシア哲学と現代」

岩波新書の黄、藤沢令夫「ギリシア哲学と現代」(1980年)の肝(きも)は、その題名にある。つまりは「ギリシア哲学」を単に完結した古典として個別に哲学教科書的に解説するのではなく、「現代」状況に結びつけて論じようする。ゆえに「ギリシア哲学と現代…

岩波新書の書評(74)宮田光雄「非武装国民抵抗の思想」

宮田光雄(1928年─)という人はドイツ政治思想史専攻の政治学者であり、またキリスト者でもあって、そのことはエルンスト・カッシーラー(ユダヤ系のドイツの哲学者)とカール・バルト(スイスのキリスト教神学者)に関する氏の訳出や研究に見事に裏打ちされ…

岩波新書の書評(70)高橋哲哉「靖国問題」

(今回は、ちくま新書、高橋哲哉「靖国問題」についての書評を「岩波新書の書評」ブログですが、例外的に載せます。念のため、高橋哲哉「靖国問題」は岩波新書ではありません。) 靖国神社による「英霊」追悼・鎮魂の問題、いわゆる「靖国問題」について常々…

岩波新書の書評(66)平岩幹男「自閉症スペクトラム障害」

自閉症に関する症例判別の問題は専門療育の精神医療現場のみならず、近年では「発達障害」や「アスペルガー症候群」の言葉がメディアを通して一般的によく聞かれるようになり、社会一般でも混同や勘違いがよくみられる。そこで岩波新書の赤、平岩幹男「自閉…

岩波新書の書評(65)野田又夫「デカルト」

岩波新書の青、野田又夫「デカルト」(1966年)は、デカルトの「方法序説」に関する当時の「NHK古典講座」全26回の放送講演を新書にまとめたものだ。全部で26のパートからなり、一つのパートが8ページほどである。「NHK古典講座全26回」の構成からして、お…

岩波新書の書評(63)清水幾太郎「愛国心」

岩波新書の赤「岩波新書で『戦後』をよむ」(2015年)は面白い。本書は「戦後」に出された既刊の岩波新書から21冊を厳選し、三人の識者が座談形式で読み解いて、日本の「戦後70年」の内実を問う趣向の合評座談の新書である。討論座談の参加者に小森陽一(日…

岩波新書の書評(55)熊野純彦「和辻哲郎」

熊野純彦に関して良くも悪くも、いつも気になるのは彼の感傷的(ロマンティック)過ぎる甘い語り口だ。これは語り口の問題だから著述内容の正誤や妥当性、考察の深さに直接に関わりなく、確かに外的で形式的な読み手に与える印象の問題であるだけなのかもし…