アメジローの岩波新書の書評(集成)

岩波新書の書評が中心の教養読書ブログです。

世界史・日本史

岩波新書の書評(157)岡本隆司「袁世凱」

先日、ジャッキー・チェン主演の映画「1911」(2011年)を観た。本作は中国近代史の辛亥革命を扱った作品で、劇中「中国革命の父」孫文が身なりも思想人格もしっかりした好印象の理想的な良人物として、そして孫文とは対照的に袁世凱が小太りのヒステリック…

岩波新書の書評(149)村上重良「国家神道」

「国家神道」とは何であったか。その定義と概要を示すとすれば、以下のようになろう。「国家神道とは、近代天皇制国家において作られた一種の国教制度、あるいは祭祀の形態の歴史学的呼称である。国家神道は広義には神道的な実践を国民統合の支柱とするもの…

岩波新書の書評(147)林茂「近代日本の思想家たち」

近代日本思想史における明治の思想は、どの思想家のものを読んでも、それなりに面白い。明治の思想家たちは概して優秀であるといえる。 以前に明治思想だけを集中して読んでいた頃は、まだ単一で絶対的な理念的読みであったので明治の思想家に対し、どうして…

岩波新書の書評(140)森永種夫「犯科帳」

岩波新書の青、森永種夫「犯科帳・長崎奉行の記録」(1962年)は気軽に読んで笑える楽しい日本史の新書だ。本書は江戸幕府の直轄地であった長崎にて、長崎奉行所の判決録「犯科帳」百四十五冊の内容を抜粋しまとめたものである。著者の森永種夫は、本新書執…

岩波新書の書評(137)井上幸治「ナポレオン」

歴代の岩波新書を読んでいると、私の好みもあるのだが、どういうわけか近年の新赤版よりも以前の赤版や青版や黄版の方に自分の心に残る新書が多くあるように思う。何よりも昔の岩波新書には、中身がしっかりとある密度の濃い本格派の硬派な書籍が多いと感じ…

岩波新書の書評(132)家永三郎「革命思想の先駆者 植木枝盛の人と思想」

岩波新書の青、家永三郎「革命思想の先駆者」(1955年)は副題が「植木枝盛の人と思想」である。「革命思想の先駆者」とは、著者の家永に言わせれば植木枝盛のことであった。後の家永三郎の仕事に「植木枝盛研究」(1960年)もある。まずは植木枝盛の概略を…

岩波新書の書評(131)黒田俊雄「寺社勢力」

先日、岩波書店が出している月刊誌「図書」の「岩波新書創刊80年記念」に当たる臨時増刊「はじめての新書」(2018年)を入手した。 「はじめての新書」というアンケート企画であり、各界著名人が歴代新書の中から推薦する名著な新書ラインナップに対し、「こ…

岩波新書の書評(123)藤木久志「刀狩り」

岩波新書の赤、藤木久志「刀狩り」(2005年)は副題が「武器を封印した民衆」である。本書のおよその概要は以下だ。「秀吉の刀狩りによって民衆は武装解除されたという『常識』がつくられてきたが、それは本当だろうか。調べていくと、それに反する興味ぶか…

岩波新書の書評(122)網野善彦「日本中世の民衆像」

日本中世史研究専攻の網野善彦(あみの・よしひこ)による、いわゆる「網野史学」の代表著作といえば「蒙古襲来」(1974年)か「無縁・公界・楽」(1978年)辺りになるのだろうか。この人は自身の研究キャリアにて割合、初期から代表作を著して網野史学は早…

岩波新書の書評(120)平岡昇「平等に憑かれた人々」

岩波新書の青、平岡昇「平等に憑(つ)かれた人々」(1973年)は副題が「バブーフとその仲間たち」であり、表紙カバー裏解説には以下のようにある。「フランス革命末期に泡沫(ほうまつ)のように消えた『平等派の陰謀』とは何だったのか。十八世紀フランス…

岩波新書の書評(118)井上光貞「日本国家の起源」

日本古代史の研究者はプロ野球の打者に似ている。日本古代史には文献文字の歴史史料はわずかであり、考古学的遺跡や遺物から知られることも少なく、どんなに優れた研究者でも、せいぜい3割か4割程度の解明をなし得れば上出来であり、優秀な研究者といえる…

岩波新書の書評(113)遠山茂樹「昭和史」

以前に「昭和史論争」というのがあった。岩波新書の青、遠山茂樹・今井清一・藤原彰「昭和史」(1955年)の内容をめぐっておこなわれた論争である。論争の発端は、亀井勝一郎が同書に対して、「人間が描かれていない」と批判したことであった。「歴史記述を…

岩波新書の書評(110)岡義武「山県有朋」

政治学者である岡義武による近代日本の政治家の評伝仕事には「山県有朋」(1958年)と、「近代日本の政治家」(1960年)での伊藤博文、大隈重信、原敬、犬養毅、西園寺公望と、「近衛文麿」(1972年)があった。「近代日本の政治家」の書評に、岡義武の弟子…

岩波新書の書評(104)坂井榮八郎「ドイツ史10講」

近年、岩波新書から「××史10講」というタイトルで古代から近現代までの各国通史を新書の一冊で、それぞれ書き抜くという非常に大胆で面白い試みのシリーズが出ている。 そのドイツ版に当たるのが岩波新書の赤、坂井榮八郎「ドイツ史10講」(2003年)である。…

岩波新書の書評(98)若松英輔「内村鑑三」

岩波新書で内村鑑三といえば、以前に黄版で鈴木範久「内村鑑三」(1984年)があった。これが誠に清々(すがすが)しい、読んでいて思わず客席から半畳を入れたくなるような新書で、つまりは著者の鈴木範久が「内村鑑三」の生涯を事実に即し時系列で客観的に…

岩波新書の書評(96)川田稔「昭和陸軍全史」

(今回は、講談社現代新書、川田稔「昭和陸軍全史」についての書評を「岩波新書の書評」ブログですが、例外的に載せます。念のため、川田稔「昭和陸軍全史」は岩波新書ではありません。) 毎年、夏の暑い盛りの八月になると、なぜか先の日本の戦争についての…

岩波新書の書評(94)中村政則「象徴天皇制への道」

戦後の天皇制、いわゆる「象徴天皇制」において、天皇が「象徴」であることの意味内容は果てしなく広く、どこまでも深い。そのことは象徴天皇制の議論が、憲法論の法学や政治学や歴史学や民俗学や宗教学や文化人類学や現代思想の記号論など、様々な分野にて…

岩波新書の書評(92)岡義武「近衛文麿」

まずは近衛文麿の生涯の概略を記しておこう。 「近衛文麿(1891─1945年)が生まれたのは明治二四年、わが国に初めて立憲政が実施された翌年にあたる。五摂家筆頭の家柄に生まれた彼は、若き貴族政治家として政界に登場し、昭和に入ってやがてひらかれるわが…

岩波新書の書評(88)遅塚忠躬「フランス革命」

岩波ジュニア新書の遅塚忠躬(ちづか・ただみ)「フランス革命」(1997年)は、中高生向けのジュニア新書であるにもかかわらず、専門的なことを分かりやすく懇切丁寧に説明する「フランス革命」の解説記述で大人の読者にも好評人気な新書であるが、その副題…

岩波新書の書評(80)青柳正規「ローマ帝国」

岩波ジュニア新書は文字通り岩波新書の「ジュニア版」であり、中高校生を読者対象にしている。ゆえに例えば世界史分野のジュニア新書なら基本、中高生が学校教科書にて学習する世界史教授の解説で、しかしながら教科書副読本にのみとどまらない、時に教科書…

岩波新書の書評(77)鈴木良一「豊臣秀吉」

「豊臣秀吉研究」と言われて今さらながら白々しく思えてしまうのは、豊臣秀吉その人が、人も羨(うらや)む立身出世譚の成功人物としてであったり、リーダーシップに長(た)けた人心掌握の見本人物として、これまであまりにも俗っぽく語られすぎたからに違…

岩波新書の書評(76)赤江達也「矢内原忠雄」

内村鑑三や矢内原忠雄ら近代日本のキリスト者を個人のキリスト教信仰からではなくて学術的に読むのは、それは彼らがキリスト者として世俗の政治権力、つまりは当時の日本の近代天皇制国家を超える超越的で普遍的な原理を宗教者であるがゆえに持っていた面に…

岩波新書の書評(61)岩村三千夫「中国現代史」

欧米列強が中国に積極的に、より露骨に介入してくるようになるアヘン戦争あたりから中国近現代史が始まるとして、その「中国現代史」理解の要訣は、主要な歴史的人物と歴史的事件を出来るだけ書き出し、それら人物と事件とを必ずセットにして順々に時系列で…

岩波新書の書評(57)尾藤正英「日本文化の歴史」

岩波新書の赤、尾藤正英「日本文化の歴史」(2000年)の概要は以下である。「日本人の日常生活に息づく伝統が解体しつつある今、私たちの自己認識はどこにたどり着こうとしているのか。人々の価値観や生活意識を示すものとしての宗教や思考を中心に歴史をた…

岩波新書の書評(56)野間宏「親鸞」

親鸞については、すでに多くの研究書や学術論文や評論、評伝、エッセイがあり、今日ではまさに「汗牛充棟ただならぬ」親鸞研究の様相だ。 聞く所によると戦前の昔は「親鸞は実在したのか。伝記上の架空の人物なのでは」と疑う向きもあったらしく、そうした手…

岩波新書の書評(53)芝原拓自「世界史のなかの明治維新」

岩波新書の黄、芝原拓自「世界史のなかの明治維新」(1977年)は無自覚にそのまま読んでしまうと、ありきたりの日本近代史概説だが、この新書が1977年初版であり、当時隆盛を極めていた国内の経済体制矛盾に基づく社会経済学的アプローチと、階級史観に依拠…

岩波新書の書評(49)柴田三千雄「フランス史10講」

近年、岩波新書から「××史10講」というタイトルで古代から近現代までの各国通史を新書の一冊で、それぞれ書き抜くという非常に大胆で面白い試みのシリーズが出ている。そのフランス版に当たるのが岩波新書の赤、柴田三千雄「フランス史10講」(2006年)であ…

岩波新書の書評(44)三谷太一郎「日本の近代とは何であったか」

岩波新書の赤、三谷太一郎「日本の近代とは何であったか」(2017年)は「問題史的考察」という副題を付し、19世紀後半に活動した英国ジャーナリスト、ウォルター・バジョットの「近代」の定義を雛型(ひながた)に、文字通り「日本の近代とは何であったか」…

岩波新書の書評(40)近藤和彦「イギリス史10講」

近年、岩波新書から「××史10講」というタイトルで古代から近現代までの各国通史を新書の一冊で、それぞれ書き抜くという非常に大胆で面白い試みのシリーズが出ている。 そのイギリス版に当たるのが、岩波新書の赤、近藤和彦「イギリス史10講」(2013年)であ…

岩波新書の書評(29)島薗進「国家神道と日本人」

岩波新書の赤、島薗進(しまぞの・すすむ)「国家神道と日本人」(2010年)の概要は以下である。「戦前、日本人の精神的支柱として機能した『国家神道』。それはいつどのように構想され、どのように国民の心身に入り込んでいったのか。また、敗戦でそれは解…